スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜

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今だからなぜオリンピックをやるのか考えよう【コラムその2】

7月24日、いよいよ東京オリンピックの開会式が行われますね!

 

などと盛り上がっているはずだったんですねえ、本来は。世間ではオリンピックのオの字もなく、代わりにコロナコロナ、コロナだらけです。

麻生さんが東京オリンピックを「呪われた大会」とか言っていましたが、あれって本当ならもっと炎上するような発言ですよね。それがあんまり叩かれなかったのは、国民もやっぱり東京オリンピックが「呪われた大会」だと心の中で思っていたからじゃないでしょうか。

 

しかしまあ、幸か不幸か我々もやることがなくなってしまったわけです。そこでオリンピック開幕があと1年に迫った今、なぜオリンピックをやるのか?を考えてみたいと思います。いろいろな意見があるとは思いますが、この記事では私の解釈ということでお願いします。

 

 

.オリンピックの発祥

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なぜオリンピックをやるのか?を考えるには、やはり歴史を知らなければいけません。とはいえ私も専門家ではないので、いろいろかき集めた情報になってしまいますが、その辺はご了承ください。

 

まず、そもそもオリンピックの起こりは紀元前のギリシャにまでさかのぼります。元々の由来はギリシャ神話の祭典だったようです。

そのため非常に格式が高い行事とされ、わざわざ戦争を中断してまでやっていたそうです。その後第二次大戦では軍事利用されるのですから皮肉な話ですね。

 

初期はスタディオン走(スタディオンはスタジアムの語源となる競技場。このブログの祖先である)だけが行われていました。男が真っ裸で1スタディオン(約180m)を走り、最も速く走ったものがお供え物に火をつける名誉が得られたそうです。日本でいう西宮神社で行われる福男みたいなもんでしょうか。


令和初の開門神事 福男選び 西宮神社

イメージ。

 

しかしながら、優勝者への褒章はどんどんエスカレートしていき、審判の買収など不正が横行しました。その結果腐敗していき、そして消滅していきました。人間は今も昔も変わらないものですねえ…。

このころには、ギリシャ語圏中から選手が集まり、今のオリンピックほどではないにしてもそれなりの規模の大会だったようです。

 

今のオリンピックは19世紀、フランスのクーベルタンという人が歴史書でこのギリシャのオリンピックの記述を読んで感動し、「なんかこれやったら平和になりそうだしやろうぜ!」と言ったのが始まりです(大いに意訳あり)。

 

2.オリンピックの変化

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元々、オリンピックというのはアマチュアリズムを原則としていました。アマチュアリズムとは「スポーツをするものは、アマチュアでなくてはならない」という主張、あるいは「スポーツはアマチュア精神に従ってするのがよい」であるそうです(From wiki)。

ほいじゃ、今度はアマチュアとは何かというと、「芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人 」(From wiki)だそうです。

 

つまりどういうことかというと、「スポーツで金を稼ぐなんて卑しいからやめちまえ!」ということなのでしょう。今からするとちょっと感覚的にわかりづらいですね。

実際、ジム・ソープという選手が、野球のマイナーリーグでプレーしたことを理由に金メダルはく奪にまで至りました(その後撤回)。昔は厳格に守られていたんです。

 

しかし、次第にオリンピックは国家の威厳を示す場として使われるようになりました。その結果、それぞれの国が選手を公務員だと言い張り、バケモンみたいなアスリートを育てるようになりました。

そのためレベルが格段に上がり、仕事の片手間で練習していたのでは到底太刀打ちできないようになってしまいました。また金銭的に余裕のある人が優位になるなど、格差的な問題もあったようです。

 

結果的に、1974年にはアマチュア規定が削除されました。これは世界的にスポーツは金にしてもいい、ということが選手にとっても、主催者にとっても公に認識された象徴的な出来事だと思います。実際、テレビ放送をきっかけに放映権ビジネスが大きな力を持つようになり、大会規模はどんどん拡大しています。

 

3.東京オリンピックはなぜやる?

以上の流れを考えれば、なぜ東京オリンピックをやるのか、という問いに対しては、儲かるからという答えになりそうです。

もちろん、関係者の中には平和の祭典を東京でやりたいとか、志の高い人もいるでしょう。でもやっぱり現実的に考えて、金にならなければこんな大規模な大会を行うことは不可能です。

 

こういった商業主義はたびたび批判の的になります。ただ私は、商業主義自体は別にいい事と思っています。一流選手の素晴らしいプレーを見ることができ、そして経済も回るとなれば、何も悪いことはありません

というか、世の中にあるプロスポーツ、いやスポーツに限らず音楽、映画、芸術などのエンタメは基本的にはお金儲けを中心に回っています。見るものが感動し、その対価としてお金を支払うというのは至極普通のことですよね。

 

ただ、最近のオリンピックではさすがに構造のいびつさが無視できなくなっています。儲かると一言で言っても、果たして誰が儲かるのか?とかどうやって儲かるのか?といった疑問は誰でも湧いてきますよね。

 

この辺の難しい話はあえてここでは立ち入りませんので、興味がある方はオリラジあっちゃんの動画でもご覧になるといいかと思います。


【東京五輪延期①】オリンピックの光と影

このままいくと、不正によって衰退していった古代ギリシャオリンピックを笑えない状態になる気がしてなりません。歴史から学んで賢くなりたいものです。

なにはともあれ、1年空いてしまったわけですから、ここで一度「なぜオリンピックをやるのか?」を改めて考えるいいチャンスだと思うのです。せっかくやるなら、みんなが納得できるオリンピックにしたいものですね。

 

ちなみに筆者は、野球とホッケーのチケットが当たりました。これが紙くずとなるのかはたまた…?

 

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