2011年3月11日、大地震が日本を襲いました。東日本大震災です。
私はその時自宅にいたのですが、あまりの大きな揺れに驚いて玄関に飛び出し、逃げ道を確保しに行ったことを今でもはっきり覚えています。
幸い私の周辺に大きな被害はなかったものの、その後テレビで連日痛ましいニュースが流れ続けたあの日々は、一生忘れることができないでしょう。
そして東北の方であればなおのことです。テレビ越しではありましたが、心身ともに疲れ切った被災者の方々、その一人一人の姿、言葉、全てが私の記憶に強く残っています。
そんな被災者の心を癒したもの、そのひとつがスポーツです。
今回は東日本大震災に対するスポーツの取り組みを集めてみました。
あの震災を我々は決して忘れてはいけませんが、スポーツは痛みを忘れさせてくれるものであり、また勇気づけ、元気づけ、奮い立たせてくれるものでした。その一部を振り返りたいと思います。
1.見せましょう、野球の底力を~東北楽天ゴールデンイーグルス~
「その日」、楽天イーグルスは兵庫で試合を行っていました。そのため直接地震の揺れを経験することはありませんでしたが、地震が起きたことが伝えられ8回には試合が中断。
その時点で選手たちに緊張が走ったことは想像に難くありません。実際に家族と連絡が取れない選手もいました。
なかなか被災地に行くことはかないませんでしたが、それでも各球場で試合をするときには募金活動を行ったり、チャリティートークイベントを行ったりして被災地への支援を行いました。選手たちは夜遅くまで「今、何ができるか」を話し合っていたそうです。
そんな中、4月2日から3日にかけて12球団のチャリティーマッチが行われました。
楽天は日本ハムと札幌ドームで試合を行いましたが、それに先立って選手会長の嶋がスピーチを行いました。
内容は事前にNPBの方から渡されてはいたのですが、「自分たちの思いを伝えたい」とスピーチの内容を書き換えました。
そこで生まれたのが、「見せましょう、野球の底力を」という言葉です。
この時の嶋のスピーチ、そしてセンバツ大会が始まるときにNHKのアナウンサーの言った「さあ、野球の時間です」という二つの言葉は、私の胸に強く残っています。
4月7日にチームは仙台に帰り、各地で支援活動を行いました。その姿は被災者を元気づけ、そしてチームは被災者に元気づけられました。
楽天生命パーク(当時はKスタ)も損傷がひどく、実際に試合が行われたのは4月29日となりました。
その際にも嶋のスピーチが行われ、「東北の底力」という言葉が使われました。東北にも遅い球春が到来したのです。
2011/4/29 楽天・嶋基宏選手会長から被災者へのメッセージ
イーグルスが底力を見せつけたのは、それから2年後の2013年11月3日のことです。
2.絆~日本代表vsJリーグ選抜~
サッカー日本代表は元々3月25日、29日にキリンチャレンジカップのモンテネグロ戦、ニュージーランド戦の2試合が行われることになっていました。
しかし地震の影響により2試合とも中止。国内で対戦相手を探すことになりました。
国内で日本代表の相手をできるチーム…そう、Jリーグしかありません。
そうして3月17日、日本代表とJリーグ選抜「Jリーグ TEAM AS ONE」が対戦する「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」の開催が発表されました。
Jリーグ選抜のメンバーは小野伸二、小笠原満男、中村俊輔など2010Jリーグアウォーズ選出選手や2010FIFAワールドカップの代表が数多く含まれ、日本代表とそん色ない豪華メンバーがそろいました。
3月29日、大阪の長居スタジアムでキックオフ。チャリティーマッチと言えば緩い雰囲気で行われるものも多いですが、お互い本気のプレーの連続。伝えたい気持ちはプレーで表現する、というのはスポーツ選手の原点とも言えます。
試合は日本代表が優勢に進め、前半15分遠藤保仁のフリーキックで先制、19分本田圭佑から岡崎慎司へのスルーパスで追加点を挙げます。
そんなチャリティーマッチのハイライトは、終了も近づいた後半37分に訪れます。その模様はぜひ動画でご覧ください。
川島からのボールに田中マルクス闘莉王が競り勝つと、ボールは導かれるように「キングカズ」の前へ…これをカズは冷静にゴールへ突き刺しました。
カズダンスを決めたカズの突き上げた右手は、偶然にも「絆」を指さしていました。
この試合で集まった1億を超える収益は全額寄付されました。また選手をはじめ審判、そして国歌斉唱を行った倉木麻衣さんなどはすべて無償での参加でした。
3.「私はサッカーでしか返せないから」~なでしこジャパン~
なでしこジャパンは2011年3月9日までワールドカップの前哨戦となるアルガルヴェカップに参加。3位と上々の成績を残して帰国します。
地震が襲ったのはその直後のことでした。佐々木監督も埼玉の自宅へ戻った直後にこの地震を経験しています。
日本中大混乱となる中、地震の1週間後には「5月アメリカ遠征実施」のニュースが流れました。ワールドカップへの準備は着々と進んでいたのです。
それでもなでしこリーグが延期となるなど、影響は避けられませんでした。この状況にありながらも、なでしこジャパンは震災を経て覚醒の時へ向かっていました。
特に丸山桂里奈においてはそれが顕著でした。もともとスピードはありながらスタミナに難がある選手でしたが、みるみるうちにスタミナがついてきたのです。
その理由を佐々木監督がきいてみると「私はサッカーでしか返せないから」との答え。
5月の遠征ではアメリカに2-0の敗戦に終わりますが、選手たちの目は確実に「ワールドカップ優勝」へ向くようになっていました。
迎えた2011年FIFA女子ワールドカップ。グループリーグは難なく突破しますが、イングランド戦で0-2と敗戦。これをきっかけにチームに内紛の危機が訪れます。
そんななでしこジャパンを救ったのは、1本のビデオでした。その内容は、「何のためにこの大会を戦っているのか?」と問いかけるものでした。
このビデオによってふたたび心を一つにしたなでしこジャパン。準々決勝の対ドイツは先述の丸山の延長ゴールにより撃破、準決勝の対スウェーデンは先制されながらも3-1と逆転勝ち。
いよいよ決勝で因縁のアメリカと激突します。
この決勝における激闘は言うまでもありません。
20110718 女子ワールドカップ2011 決勝戦 日本×アメリカ
この時のなでしこジャパンの奮闘がどれほど日本国民に勇気と元気を与えたことか…。日本のみならず世界に称賛される戦いぶりでした。
4.まとめ
この10年の間にも、色々なことがありました。地震。台風。水害。そしてコロナウイルス。
そのたびに人々は悲しみ、苦しみ、悶え、そして立ち上がってきました。
私はこのようなスポーツの試合を見て思うのです。大丈夫、スポーツがある限り、と。
今日、日本のどこかでスポーツの試合が行われます。明日も、日本のどこかでスポーツの試合が行われます。そして2021年3月11日14時46分、10年の節目を迎えます。
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