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東京オリンピック記念連続シリーズ第4回~オリンピック名場面5選~【コラムその45】

オリンピックはこれまで、数々の名場面を生み出してきました。その感動は日本中を巻き込み、そして世界中を巻き込んでいきました。

 

今回は、そんなオリンピック名場面の数々を厳選して集めてみました。笑いあり、涙あり、名場面には選手一人一人がかけてきた人生そのものが反映されています。

いくつもの日々を超えて

  たどり着いた今がある

 

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1.うなぎのエリック、栄光の最下位(2000シドニーオリンピック)

エリック・ムサンバニは、赤道ギニア出身の競泳選手。

 

…と書きましたが、もともとはバスケットボールの選手でした。

赤道ギニアにはもともとスポーツ選手を育成する施設が十分になく、各国に与えられている競泳の特別出場枠でエリックに出場してもらいなんとかこの状況をアピールしたい、という目論見がありました。

エリックはおふざけなどでなく、間違いなく国を背負ってオリンピックに出場したのです。

 

もちろんそんな状況なのでまともに練習することはできず、ホテルにある17mのプールを使って練習するのみ。

コーチもおりませんでしたので独学でフォームを覚え、ターンの練習もほとんどできず、50mのプールは本番になって初めて見るような状況でした。

 

更に運の悪いことに、同じ組で泳ぐはずだった二人がフライングで失格。なんとエリックが単独で泳ぐことになってしまいました。

 

はじめは17mのプールで練習した成果を生かして順調に泳いでいきますが、100m泳ぐ練習もまともにできていなかったのでしょう、すぐにフォームはメチャクチャになり、練習していないターンは溺れそうになりながら、なんとか泳いでいきます。

 

その懸命な姿に会場は大盛り上がり。なんとか100mを泳ぎ切り、赤道ギニアの国内新記録となる1分52秒72というタイムを打ち立てました。

ちなみにこのタイムは歴代オリンピックのワースト記録だそうです…。

 

実際映像を見てみると、笑えたり、泣けたり、なんだかいろんな感情がこみ上げてきます。ちなみに私はゴール直後には大号泣していました。

ある意味、「参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の言葉をオリンピック史上最も体現した選手であると言えるでしょう。


シドニーオリンピック 競泳男子100m予選

この泳ぎで注目を集めた赤道ギニアにはスポンサーが集まり、とりあえず練習環境を整えることができました。

エリックも4年後には記録を1分近く縮めるなど練習の成果を発揮しました。

 

2.井上康生、母に捧げる金メダル(2000シドニーオリンピック

井上康生は1978年、宮崎県生まれの柔道選手。

シドニーオリンピックでオリンピック初出場を果たしますが、大会直前に最愛の母が急逝してしまいます。

 

失意の中挑んだオリンピックでしたが、激闘の末オール一本勝ちで見事金メダルを獲得します。

迎えた表彰式、井上康生は母の遺影を持ち込んで表彰台の頂上に立ち、大きな話題となりました。

 

実はこれには裏話があり(それがここで取り上げた理由なのですが)、遺影はガラスが危険物とみなされるため本来は持ち込みが禁止なのだそうです。

最初は係員に止められてしまいますが、母の遺影だと説明すると「ジャージの中に隠していきなさい。表彰台に上がったら誰も止められないから」と粋な計らい。

母の遺影を持って金メダルをかけられる名シーンの裏には、係員の思いやりがあったのでした。


柔道名勝負列伝5 井上康生VSギル 「20世紀最高の一本」

 

3.卓球女子団体、意地とプライドの銅メダル(2016リオオリンピック)

卓球女子団体チームは2012年のロンドンオリンピックで見事銀メダルを獲得。リオオリンピックでは「打倒中国」を掲げます。

 

しかし迎えた準決勝、4時間を超える死闘の末ドイツに敗れてしまいます。打倒中国を掲げながら、中国との戦いの舞台に立つことすらかないませんでした。

 

死闘による疲労、そして打倒中国という目標を失った虚無感は計り知れないものでした。

それでも、福原愛、石川佳純、伊藤美誠の3人はを向きました

 

3位決定戦はロンドンオリンピックで準決勝の相手となった因縁の相手シンガポール

やはり準決勝での敗退が尾を引いたのか、序盤はなかなかペースをつかむことができず福原は第1試合を落としてしまいます。

 

流れを引き寄せたのは第2試合の石川佳純。相手はロンドンオリンピックのシングルスで銅メダルを争ったフェン選手。

ロンドンではフェン選手に敗れメダルを逃し、さらにリオのシングルスでは早々に敗れてしまった石川。ここではその悔しさを全てぶつけ見事に勝利。

 

流れに乗った日本は第3試合も福原・伊藤のダブルスで勝利。迎えた第4試合、伊藤美誠が登場。

弱冠15歳の伊藤でしたが、それでも準決勝で敗れた悔しさ、そして責任を抱えていました。

一気に得意のラリーで押し切ると、ストレートで見事勝利。2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

銅メダル獲得を決めると、それまでチーム最年長として気を張り詰めていた福原愛は号泣してしまいました。

 

3人ともそれぞれ葛藤を抱えながらの戦いとなった3位決定戦でしたが、福原は精神的な支柱、石川は日本のエース、伊藤は若さと勢い、それぞれの強みを生かした見事な銅メダル獲得でした。


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4.上野由岐子魂の413球(2008北京オリンピック)

北京オリンピックは、野球、そしてソフトボールが正式な競技としては最後の大会になることが決まっていました。

ソフトボール優勝の大本命はオリンピック3連覇中、4連覇を目指すアメリカ。日本はシドニーで銀、アテネで銅を獲得していましたが、アメリカの絶対優位はゆるぎない状況でした。

 

予選ではアメリカに敗れたものの2位で決勝トーナメントに進出した日本。準決勝で激突するのは予選全勝で通過したアメリカ。

 

日本はエース上野を立て、必勝を誓います。7回まで0‐0の均衡状態が続き、延長戦に突入。

しかしそんな上野の前に立ちはだかったのは、女子ソフトボール界最強打者ブストスでした。北京オリンピックにおいて打率.500、6本塁打、OPS1.925という驚異的な成績を残したブストスは、準決勝でもスリーランホームランを放ち上野を打ち砕きました。

 

ソフトボールは準決勝で敗れても、予選3位と4位で勝った方と再度対戦し勝った方が決勝に進出するという特殊なルールになっていました。

そんな決勝進出決定戦の相手は、予選でも苦戦を強いられた日本と並ぶ強豪のオーストラリア。しかも、アメリカとの試合と同日に行われるという極めて過酷な日程でした。

 

それでも絶対に負けられない日本はエース上野を送るしかありません。6回まで2‐1とリードしますが、最終7回に同点ホームランを浴びまたも延長戦に突入。

その後10回まで膠着状態、11回に1点を取り合うという極めて緊迫した試合となります。

それでもなんとか12回にサヨナラ勝ちを決めた日本。しかし1日で318球を1人で投げぬいた上野は、右手中指の皮がはがれ肉がむき出しになるなどあまりにボロボロの状態でした。

しかも、決勝のアメリカ戦はこの2試合が行われた翌日。上野は2日間で3試合という類を見ないハードスケジュールをこなさなければなりませんでした。

 

迎えた運命の決勝・アメリカ戦。上野は前日に比べて球速が5㎞落ち、世界一の剛速球とは程遠い状態でした。

しかし、上野には二つの大きな武器が残されていました。一つは、世界一のコントロール。そしてもう一つは、キャッチャーの峰幸代選手。

 

峰は準決勝でのアメリカ戦のデータを徹底的に洗い出し、苦手なコースや球種を研究。巧みに内角、外角に散らしながら、要所で内角をえぐるシュートを使い、アメリカ打線を翻弄していきます。

もちろん投げる上野も、ボロボロになりながらも打たせて取るピッチングでアメリカ打線をかわしていきます。

 

しかし立ちはだかったのはやはり4番ブストスでした。2点リードで迎えた4回、外角の速球をたたかれ、ソロホームランを浴びます。

それでも上野は懸命に投げ続けますが、2‐1で迎えた6回、1アウト満塁の大ピンチを迎えます。

 

ここで上野と峰のバッテリーは、今一度自分たちの信じてきたものを貫きました。押し出しでも同点となる大ピンチの中、二人は強気に内角を攻めていきます

これが功を奏し、二人のバッターを内野フライに打ち取りこの大ピンチを切り抜けました。勢いに乗った日本は7回に1点を追加すると、その裏のアメリカの攻撃を逃げ切り、ソフトボール最後のオリンピックで見事金メダルを獲得しました。

 


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この試合はアメリカのオリンピックでの連勝記録を22でストップさせ、アメリカでも「北京オリンピック最大の衝撃」と大きく報道されることになりました。

 

この二日間で上野が投げた球数は驚異の413球。「上野の413球」は流行語の候補にもなるなど社会現象にもなりました。

 

試合後、日本、アメリカ、オーストラリアの選手が集まると、ボールで「2016」の文字を作りました。2016年のオリンピックで再度会おう、という意味が込められていました。

結局これは実現することはなかったものの、2020東京オリンピックで復活。3か国の選手の思いが12年越しに結実することとなりました。

 

5.体操ニッポンの夜明け(2004アテネオリンピック)

かつて体操と言えば、日本の独壇場でした。メダル数では現在もなお世界最多の97個(リオオリンピックまで)を誇り、1960年のローマオリンピックで男子団体金メダルを獲得すると1976年のモントリオールオリンピックまで団体では5連覇

 

しかし80年代にはいるとソ連(ロシア)と中国の台頭が目覚ましく、日本は銅メダルを取るのがやっと。1996年のアトランタ、2000年のシドニーでは団体どころか個人でも一つもメダルを取ることができませんでした。

 

「体操ニッポンは終わった」…そう思われても無理はない状況でした。

それでも育成環境を20年以上の月日をかけて見直し、2003年の世界選手権で団体銅メダルを獲得。体操ニッポンの新しい夜明けを予感させていました。

 

体操ニッポンの復活を胸に挑んだアテネオリンピック。予選は6人中5人が競技を行い、点数の良い4人が採用される方式。

日本は平行棒と鉄棒で全体1位を記録すると、あん馬とつり輪で2位、ゆかで3位。総合で1位通過を決め、順調な滑り出しを見せました。

 

決勝では6人中3人が競技を行い、その3人すべての得点が採用される方式。すなわち、ミスは許されません。

しかし、日本にミスが目立ち始めます。ゆかで塚原、中野、米田の全員の得点が伸び悩み、1位のアメリカとは0.826点差の7位。大きなリードを許します。

 

しかしその後のあん馬で巻き返して3位に浮上。そのあとは接戦が続きながらも徐々に順位を上げ、最終種目となる鉄棒の前の時点で1位ルーマニア、2位日本、3位アメリカとなっていました。

それでもその点差はわずかに0.125点。ギリギリの戦いが続いていました。

 

先にルーマニアが演技を行いますが、苦手の鉄棒で点数は伸びず優勝争いから脱落。金メダルは日本とアメリカに絞られます。

続くアメリカは構成点を落としながらも無難にまとめ、日本は3人の平均で9.525点を出さなければならないプレッシャーと戦うことになりました。

 

まず演技に入る日本の米田。落ち着いた演技を見せ、9.787点の高得点で後につなぎます。

続く鹿島。米田の演技で勢いに乗ったのか、9.825点という高得点をたたき出します。

最後の冨田。ミスさえなければ金メダルという状況にあっても、構成点を落とすことなくどん欲に高得点を狙いに行きます。

 

 

最後の着地の瞬間、NHKの刈屋アナウンサーが「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架橋だ!」と実況したことはあまりにも有名な話です。

結果、全選手中最高得点となる9.850点を記録。「体操ニッポン」は最後まで果敢に挑み、圧倒的な強さを持って復活したのでした。


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その後は団体では中国と金メダルを争う状態が続き、2016リオオリンピックでは再び金メダル、今回の東京オリンピックでも銀メダルを獲得。

個人総合でも内村が2連覇を飾り、東京オリンピックでも橋本大輝が金メダルを獲得するなど、以前のように5連覇とまではいきませんが安定した強さを取り戻しています。

 

まとめ

オリンピック名場面を厳選に厳選して5つご紹介しました。

この記事を書く上でいろいろオリンピック名場面を振り返ったのですが、もう一つ一つが印象に強く残っていて、思い出すたびに涙が出てきました。

 

この記事で取り上げているもの以外でも、

陸上男子400mリレー銀メダル(2016リオオリンピック)

卓球男子シングルス水谷隼銅メダル(2016リオオリンピック)

テニス男子シングルス錦織圭銅メダル(2016リオオリンピック)

レスリング吉田沙保里銀メダル(2016リオオリンピック)

カヌー羽根田卓也銅メダル(2016リオオリンピック)

女子バレーボール銅メダル(2012ロンドンオリンピック)

競泳男子400mメドレーリレー銀メダル(2012ロンドンオリンピック)

男子平泳ぎ北島康介2大会連続金メダル(2008北京オリンピック)

フェンシング太田雄貴銀メダル(2008北京オリンピック)

アーチェリー山本博銀メダル(2004アテネオリンピック)

ハンマー投げ室伏広治金メダル(2004アテネオリンピック)

女子マラソン高橋尚子金メダル(2000シドニーオリンピック)

…などなど取り上げたい競技は山のようにあるのですが、キリがないので泣く泣く諦めました。

 

東京オリンピックが終わっても、2022北京、2024パリとオリンピックの歴史は続いていきます。

オリンピックはどんな道を歩んでいくのか、観客の一人として引き続き楽しんでいきたいと思います。

 

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