スポーツ、という言葉の語源をご存じでしょうか?
これは以前にも記事で取り上げているのですが、ラテン語のdeportareという単語で、娯楽、息抜き、生活の役に立たないものという意味があります。
しかしスポーツはその注目の高さゆえ、残念ながら政治目的で利用されたり、世界史の舞台に登場することもしばしば。
このシリーズではそれらを私の分かる範囲でご紹介していきます。未熟ゆえ不正確であったり情報の不足があるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。
今回は、ナチスドイツに利用されたことで有名なベルリンオリンピックをご紹介します。
1.ベルリンオリンピック開催へ
ベルリンでは1916年時点でオリンピックの開催が決定していましたが、第一次大戦の影響により中止を余儀なくされていました。さらに戦争で敗北し、しばらくオリンピック開催はおろか参加することもできませんでした。
そんなドイツも国力を取り戻し、1931年に行われたオリンピック開催地投票においてスペインのバルセロナを上回りベルリンがオリンピック開催地となることが決定しました。
しかし翌1932年にドイツの首相となったアドルフ・ヒトラーは、当初オリンピックの開催には否定的でした。なんでも、オリンピックは「ユダヤ人とフリーメイソンの発明」だからだとか(そうだっけ?)。
しかし側近に「オリンピックはプロパガンダに利用できる」とそそのかされると態度を一変、オリンピック開催へ舵を切ります。この瞬間から、「ナチスのナチスによるナチスのためのオリンピック」が始まってしまいます。
ヒトラーはオリンピックを「アーリア人の優秀さを世界に見せつける絶好の機会」と捉え、ドイツの国を挙げてインフラの整備や選手の強化に取り組みました。
2.ベルリンオリンピックの光
ベルリンオリンピックにおいては、初の聖火リレーが行われました。ギリシャのオリンピアで採火された聖火は、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアといった各国を経由しドイツまでリレーされました。
もちろん、この聖火リレーは現在でも平和の象徴として続けられているイベントになっています。
このベルリンオリンピックでは、やはり国を挙げて臨んだドイツの躍進が目立ちました。金メダル数は世界最多の33を数え、第一次大戦からのドイツの復権を世界に見せつけたのです。
またフェンシングのヘレンメイヤー選手は、ユダヤ人ながらドイツ代表として出場し銀メダルを獲得するなど、ユダヤ人の身でオリンピックに参加した選手がいました。
というのも、ユダヤ人迫害運動に反対していたイギリスやアメリカがボイコットの動きを見せていたことから、迫害運動を緩和させたのです。街からは反ユダヤの標語を掲げた看板が消え、新聞からは暴力的な表現が消えました。
さらに市民への教育も怠らず、海外からやってきた観光客に対しておもてなしの精神で対応するなど徹底的にドイツのイメージの向上に努めました。
またベルリンオリンピックを記録した映画「オリンピア」は、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞を獲得、日本でも戦前の観客動員数の記録を樹立するなど大ヒットしました。現代でもオリンピック映画としては最高傑作と言われています。
といったわけでベルリンオリンピックは大成功に終わり、ユダヤ人迫害運動も緩和され結果的に世界平和に大きく貢献することとなったのです。
3.ベルリンオリンピックの影
…というわけがありませんでした。
ベルリンオリンピックが終わってからが大問題だったのです。
まず聖火リレーはそれ自体現代でも続いていて平和の象徴ではあるのですが、この時は聖火リレーを利用して各国の道路事情を綿密に調べ上げ、第二次大戦での侵攻に大いに活用したと言われています。
さらに大会期間中は抑制されていたユダヤ人迫害運動も、大会が終わるやいなやより激しさを増しました。
まず選手村の村長を務めていたウルフガング・フルストナーは、ユダヤ人の子孫であるという噂が立ったために職を失い、閉会の2日後に自殺しました。
大会の2年後である1938年にはナチスによる反ユダヤ暴動が起き、ユダヤ人の住宅や商店などが破壊されていきました。
そしてポーランドへの侵攻をきっかけに各国に攻め入り、ユダヤ人の虐殺を行ったのです。この中にはアンネの日記で有名なアンネ・フランクも含まれています。
また高い評価を受けた「オリンピア」も、監督であるレニ・リーフェンシュタールがナチス支持者でありナチ党の記録映画「意志の勝利」の監督を務めていたこともあって、ナチスのプロパガンダ映画として認識されています。
(映画としての芸術性の高さは今でも評価されていますが、競技後に選手を集めて撮影用に競技を行うなど美しい映像を撮るためには妥協しなかったため、その姿勢がナチスのプロパガンダ(ナチスが主催したオリンピックの美化)だと考えられているのです。本心はどうだったのか今となっては知る由もありませんが…)
4.まとめ
以上、ナチスの権力誇示という形で政治利用された平和の祭典、ベルリンオリンピックについてご紹介しました。
表立って政治利用されたオリンピックはこれで最後というわけではなく、冷戦時には1980年のモスクワオリンピックでアメリカや日本、西ドイツなどが、そして1984年ロサンゼルスオリンピックではソ連や東ドイツなどがボイコットに至るなどの事件も起きました。
今のオリンピックではそういった表立った動きはありませんが、各国がメダルの数を競い合っている現状を見ると、実は国力の誇示という意味では本質的なところでそれほど変わってはいないのかもしれません。
メダルの数を選手の努力とみるか、国の力とみるか、それは見る人によっても変わってくるでしょうね…。
結局、オリンピックはどうあるべきなのか?ベルリンオリンピックから学ぶべきことはまだまだ多いのかもしれません。
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