以前、このブログにてスポーツ選手のセカンドキャリアについてご紹介しました。
現在ではスポーツ選手のセカンドキャリアは実に多様化してきていますが、その中には政治家へ転身するという道もあります。
野球選手、プロレスラーなど、その出身スポーツも多様です。
そこで今回は、政治家に転身したスポーツ選手を調べてみました。いざ、スポーツの力を政界へ!
1.橋本聖子~オリンピックメダリストがオリンピック運営へ~
今現在アスリート出身の政治家として最も有名なのは橋本聖子さんでしょう。
橋本聖子さんは1964年北海道出身。スピードスケートの選手として日本代表となり、1984年のサラエボオリンピックからカルガリー、アルベールビル、リレハンメルと4大会の冬季オリンピックに出場。
アルベールビルオリンピックでは1500mで銅メダルを獲得しました。
さらにその鍛え上げた脚力を武器にソウル、バルセロナ、アトランタオリンピックの自転車競技にも出場。
男女通じて史上初の夏季、冬季両オリンピックに出場、そして日本女子最多となる7回ものオリンピックに出場しました。
そんな橋本聖子さんは競技を行う傍ら、1995年に自民党から参議院選挙に出馬し当選を果たしました。
日中は政治家として活動し、早朝と深夜にトレーニングを行う超ハードスケジュールをこなしました。なんというバイタリティなのでしょう…。
引退後も政治家として順調にキャリアを積み上げ、2021年には東京オリンピック組織委員会会長を務めました。
オリンピックの開会式、閉会式での挨拶、そして涙が強く印象に残っている人も多いでしょう。
そんなバリバリと職務をこなす橋本聖子さんですが、幼少期には腎臓病で2年間スポーツが出来なかったり、原因不明の呼吸器系の病気で生死をさまようなど病気に苦しめられた経験を数多く持っています。
オリンピック出場、そして組織委員会の会長を務めあげたパワーの源は、そんな幼少期からの苦悩にあったのかもしれません。
2.室伏広治~文武両道のスーパーマン~
室伏広治さんは、言わずと知れたスーパーマンです。スーパーマンとしか言いようがありません…。
もちろんアスリートとしては言わずもがな、アテネオリンピックのハンマー投げ金メダリスト。
学生時にはハードル、走り幅跳び、柔道でオリンピック選手になれるとうわさされる、ぶっつけ本番で出た国体のやり投げで準優勝する、始球式で素人投げなのに131㎞/hを記録するなど、アスリートとしても超人エピソードには事欠きません。
その一方で頭脳も非常に優れており、中京大学にてなんと博士号を取得、そして準教授も務めています。
まさに文武両道を突き進む室伏広治さんですが、2020年からは第二代のスポーツ庁長官を務めています。
スポーツ庁にあまりなじみがない人も多いかもしれませんが、スポーツ庁は2015年に設置された新しい機関です。
文部科学省の外局として機能していて、スポーツの振興や推進を目的としています。
最近では、小学生の柔道全国大会を廃止したことについて支持を表明するなど、スポーツ全体について発言力を強く持っています。
室伏さんのスポーツで得た経験、そして聡明な頭脳があれば、日本のスポーツ界をきっと正しい方向へと導いてくれることでしょう。
3.アントニオ猪木~政界に殴り込み!~
政治の世界に殴り込みをかけた選手と言えば、アントニオ猪木の名前をあげないわけにはいきません。
アントニオ猪木は1943年神奈川県横浜市生まれ。貧困に苦しむ幼少期を過ごし、その身一つで新日本プロレスを立ち上げプロレス黄金時代を築き上げました。
その半生については記事が何本も書けるほど濃密なものですが、今回はザクっと省略します。
政界に殴り込みをかけたのは平成元年、1989年のこと。「スポーツを通じて国際平和」を掲げスポーツ平和党を立ち上げました。
参議院選挙に比例区から出馬すると、いきなり初当選を果たします。
しかし投票用紙には政党名を書かなければいけないところ、「アントニオ猪木」と書かれた無効票が大量に出たのだとか…。普段投票に行かない層が押し寄せたんでしょうねえ。
1990年に勃発した湾岸戦争では、クウェートで実質的に人質となった日本人41人に対し、イラクで平和の祭典の開催を発表。
個人で費用を負担しトルコ航空機をチャーターする行動力を見せ、人質の家族とともにバグダッド入りするとサッカー、コンサート、そして得意のプロレスを開催しました(結果的に人質は解放)。なんともまあ猪木さんらしい豪快なやり方ですね。
1992年には元プロ野球選手として活躍した江本孟紀さんを擁立し初当選を果たすなど、一定の成果を上げました。
が、1994年には「政治資金規正法違反」、「収賄」、「右翼(日本皇民党)との癒着」、「佐川急便会長の依頼で東京都知事降板」、「税金未納」、「女性問題」といったいわゆる「猪木スキャンダル」が明るみに出ます。
この中には捏造などもあったようですが、影響は避けられず次の選挙で落選。さらに江本氏との党の運営を巡るトラブルもあり、結果的に2004年にスポーツ平和党は解散してしまいます。
それでも不屈の闘志を持つアントニオ猪木、2013年に日本維新の会から出馬し当選を果たします。
国会議員となってからも北朝鮮への訪問を繰り返し物議をかもすなど、良くも悪くも破天荒な行動で政界をかき回しました。
結局、2019年に政界を引退するまで計12年間参議院議員として活動しました。国会議員の活動ですら人生の一ページに過ぎない猪木さん、そのスケールの大きさは計り知れません…。
そして2022年10月1日、アントニオ猪木はこの世を去りました。
YouTubeに上がった動画ではその死に様までさらけ出しており、まさに猪木の最後の伝説と言えるでしょう。
この動画内では環境問題にも触れており、最後まで世界を変えたい!という野心があったことが窺えます。
4.麻生太郎
最後はトリビア的な感じで軽く。
第92代内閣総理大臣も務めた、日本の代表的な政治家の一人である麻生太郎氏。
そんな麻生氏は、1976年のモントリオールオリンピックのクレー射撃に日本代表として出場した経験があるのです。
なんでも、大学からクレー射撃をはじめ全日本選手権を当時の新記録で優勝したんだとか。
しかし普通の人はやりたくてもクレー射撃なんて出来ないですし、お金持ちはエピソードからして違いますよね…。
5.まとめ
以上、アスリートの政界進出についてご紹介しました。
ここで上げた方はその中でもごく一部ですが、全体的な感想としてはやっぱりアスリートとして成功した人は政治家としてもエネルギーがものすごい!ということですね。
それがいい方向へ向くかどうかはまた別の話ですが、いずれにせよスポーツの持つ力、そして選手の持つ力は計り知れないものがあります。
アスリート出身の政治家には、スポーツで培った経験を生かして日本を引っ張っていってほしいですね!
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