注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています
今回はV・ファーレン長崎、長崎ヴェルカの試合観戦のためにピーススタジアム、ハピネスアリーナを訪れた時の遠征記を紹介します。
試合観戦の模様はこちらをどうぞ!
後編ではいよいよ長崎に完成したスタジアム一体型ホテル、「長崎スタジアムシティホテル」に宿泊します。
今までの人生で泊まったホテルで一番くらい奮発しましたが。それに見合うだけの価値を感じることができました。
最終日には人類最後の被爆都市としての長崎を見学。
その無残さ、非人道さを改めて目の当たりにし、今こうしてのんきにスポーツを観ていられる喜びを改めて感じるきっかけとなりました。
簡単な旅程は下記のとおりです。
それではごゆっくりどうぞ!
3日目・ハピネスアリーナで試合観戦+長崎スタジアムシティホテル宿泊

ホテルの近くに銅座跡というのがありました。
出島では砂糖の前、銅が盛んに取引されていたというのを昨日勉強しました。
こうやって知識が血肉になっていく感覚がたまりません。
旅のだいご味ですね。


そんなわけで観光通ともお別れです。2泊3日あっという間でした。
次はいつ来れるかな。

今日はスタジアムシティに宿泊する日。軍艦島と並んで今回の旅のメインイベントです。

荷物を預けにロビーに来たらマスコットに席を取られてしまいました。
まあいいか。

ロビーからもこの景色。最高すぎ?


普段安宿ばっかりなので、こんなきれいなホテルはドキドキします。
3万円しましたからね…(でもちゃっかりポイントはゲット)

スタジアム3階のコンコース、ここがホテルと直結しています。
試合が終わってエレベーターを登ればすぐお部屋です。遠征する人はぜひ泊まりましょう。



また少しスタジアムを楽しみました。いくらでも楽しめます。

一度スタジアムを離れます。

浦上川を渡ります。

ここから見るスタジアムも素敵です。

この辺を歩いていると蛍光灯入れが点在しています。
蛍光灯がよく壊れる地域なんでしょうか?LEDがいいですよ。

ロープウェイ乗り場にやってきました。

あっという間に稲佐山の頂上へ。意外とゴンドラが小さめですね。


電波塔が二つあります。山が多い地形だと大変ですね。

これは着物らしいです。へー。

弱虫ペダルの聖地なんでしょうかね。読んだことないんですけど。

展望台に上ってみます。

電波塔と稲佐山。

スタジアムが見えますね。良く目立ちます。

こっちは長崎駅です。

こっちには平和公園があります。
上から見ると市街地からは結構離れているのが分かりますね。

そしてこちらは長崎の海の方。世界遺産のジャイアントカンチクレーンも見えます。

海と山が一緒に見えてお得です。

たぶんあれは軍艦島…?のはず。意外と見えるもんですね。

山多めです。

出島のあたり。

すごい斜面に家が建っていますね。執念を感じます。

造船所も海に点在していて面白いです。

長崎の植物たちは、被爆後も元気に育っていたそうです。

案内板にはまだスタジアムがありませんでした。更新されるといいですね。

世界新三大夜景になっている稲佐山からの景色ですが、昼は昼でとっても面白いです。
むしろこれだけいろいろな場所が見えるのは昼の方です。

この三角の頂点は、東京タワーのてっぺんとピッタリ同じ高さだそうです。
触ってみましたが特に何もありませんでした。

降りていきます。

ロープってこんななってるんですねえ。切れたら終わりですから頑張って欲しい。

駅の隣に渕神社があります。結構立派です。
ロープウェイ乗り場が微妙にわかりにくいですね。

何故かここだけ信号機が青いのですが、何か意味があるのでしょうか?
信号、青い。

浦上川を南下。

デンリュウのマンホールがありました。もっと人気が出るといいな。

長崎駅に到着。

また遺構を発見しました。



そしてハピネスアリーナへ。
こちらもスタジアムに負けず劣らずの素晴らしい施設です。長崎最高ですね。

さてホテルへ。エレベーターを降りるとPL(R)AY FOR PEACEの文字。

部屋に入ってみました。床が六角形だ!

うおーすげーー!サッカーボールもあります。

テレビもひろびろ楽しめます。

そしてなんといってもこの景色!
このために3万円も払ったのですから…。

その下に座席もあります。
試合の日はいったいどういう人が泊まるのか気になります。

部屋もサイコー。広すぎてドギマギしてしまいます。

使わなかったですがシャワールームもオシャレです。

当然洗面台も。

トイレなんか扉開けただけでふたが開きますよ。
逆に反応しないとイラっとしたりして、これに慣れたらバカな人間になりそうで怖かったです。

スタジアムの景色たち。

ピッチとシューズの構造をデザインにしています。オシャレだなあ。



このエンブレムは何かと思ったら、PL(R)AY FOR PEACEに賛同した世界各国のクラブだそうです。
VfBシュトゥットガルト(ドイツ・ブンデスリーガ)
シント=トロイデンVV(ベルギー・ジュピラーリーグ)
ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC(イングランド・プレミアリーグ)
ジェノアCFC(イタリア・セリエA)
だそうです。間違っていたらChatGPTのせいです。

そしてこちらはV・ファーレン長崎とサンフレッチェ広島のコラボルーム。
この2クラブのエンブレムが並んでいるのを見ると、平和を感じます。


反対側のシティビューのお部屋もなかなかよさそうです。値段も少し安いですしね。

5階の廊下は宿泊者以外入れないので、静寂が続く空間です。
逆に人の気配を感じるとちょっと緊張します。

さてこちらは6階のプールへ。最高すぎ?
幸か不幸か人も少ないし…

ヴィヴィくんが書かれた子供用プール。

そして屋外にあるジャグジー!
なにせ宿泊者しか入れないのでスカスカです。なんか心配になるくらいです。
他にサウナや温泉もあり、十分すぎるほど満喫してきました。
ここ最高すぎですね。

部屋に戻って席でのんびりしました。あまりのぜいたくで昇天しそうです。

何やらレーザーショーが始まりました。
ホテルで見るのもいいですし、スタジアムで見ても楽しめそうです。
すみませんね、こんなお金のかかることやってもらって。
遠慮なく存分に楽しませていただきました。

スタジアム内のレストランで食事をとることも考えましたが、1秒でも長くホテルでの時間を楽しみたい!
というケチな考えから、スタジアム併設のスーパーで夕食を調達してきました。
なんとこれが大当たり!
とにかく寿司が安くておいしい!「こりゃうまい」と書いてある長崎産アジフライがこりゃうまい!
長崎の柑橘ゆうこうを使ったクラフトチューハイもいい感じに酔う!そして〆の九州しょうゆじゃがりこ!
これをスタジアムの夜風にあたりながら楽しめるとか、人生の絶頂に至った気分です。
ホテルの上に行くとすごく高いお店があるらしいのですが、そこで何万をする食事をしていた人よりもスタジアムを満喫していた自信があります。

長崎の夜はまだまだ続きます。

これが稲佐山の夜景かあ…
え、稲佐山から見る方が正しいの?




レーザーショーは2種類あり、桜っぽい切ない雰囲気のやつとスポーツのやつでした。
正直ストーリーはよく分からなかったですけど、なんか楽しかったのでオッケーです。

スタジアム・アリーナ専門チャンネルもあるようです。
試合中は見られるんでしょうか?直接見た方がいいと思いますが。

夜風にあたっているだけで幸せです。自然にデジタルデトックスできます。

背景がスタジアムです。そしてホテルでもあります。


各施設の詳細もチェックできます。スタジアムもアリーナも最高でしたよ。



またレーザーショーが始まりました。
30分おきにやってるみたいです。もうちょっと見る人が増えるといいんですけど…。

せっかくなのでスタジアムを一周散歩しました。
こちらは夜のハピネスアリーナ。

今になって自販機が並んでいるのを発見しました。

人少ないですねえ…さすがにもうちょっといて欲しいですね。

反対側からレーザーショーを楽しみました。
ホテルの光もまぶしいです。

こっちはちょっとだけ人がいます。

ヴィヴィくんの横がホテルの入り口です。らくちんですなあ。

ありがとうV・ファーレン長崎と長崎ヴェルカ。

いつの間にかだいぶ暗くなってきました。

いよいよ消灯の時を迎えました。

真っ暗になってしまいました。その後爆速で入眠いたしました。
4日目・人類最後の被爆地長崎

良い寝具でたっぷり寝て目覚めの良い朝です。

あいにくの天候ですが、それでもスタジアムは最高です。

廊下に出てきました。

朝食はバイキング。
レモンステーキや皿うどん、ハトシ、島原ハムなど長崎ならではの料理が並びます。お米も長崎産です。

2周目は洋風のつもりでしたが、りゅうきゅう丼(大分の名物)用のヒラメのお刺身がおいしそうだったので持ってきました。

もちろんここからもスタジアムが見えます。



ご飯を食べたらまた散歩しました。

スタジアムには4つのスタンドがあります。今さらですけど。

この辺が私の部屋です。

稲佐山すら見えないほど雲がかってきました。これはこれで幻想的ではあります。

ちなみに朝はウォーキングとランニング推奨イベントが行われています。
別に時間外に歩いたり走ったりしても怒られることはありませんが。

最後の散歩を終え、もう一度プールやサウナを楽しみました。

最後の時間は芝生に寝っ転がって過ごしました。
こんなことしてたら普通は怒られてしまいますが、贅沢です。

残念ながらチェックアウトのお時間。
11時ぎりっぎりまで滞在しました。それだけの価値があります。

と言いつつ、もうちょっと粘ります。
ちょうどお店が開く時間なのでじげもんとんへ。

スタンダードにちゃんぽんをいただきました。
スタジアムシティホテルの味を噛みしめながらいただきました。

ではいよいよ本当に最後です。また来るからねー!

帰りはみらい長崎ココウォークのバスターミナルから空港に向かうので、その隣のコインロッカーに荷物を預けました。
スタジアムシティの隣にこんな立派なショッピングモールがあるんですね。
仲よく共存していきたいところです。

国道206号を北上。このままいけば佐世保につきます。

反対側に古びた感じの商店街?飲み屋街?がありました。
時代とともに淘汰されていくのでしょう…

さて、今日は長崎の平和を考える一日です。
こちらは山王神社一の鳥居があったことを示す碑。
被爆直後は原形をとどめていましたが、交通事故により消え去ってしまったそうです。

写真館というと七五三などお祝い事の写真が飾ってあることが多いですが、こちらには被爆前後の写真が展示されています。
当時を物語る、非常に大事な資料です。

そしてこちらが山王神社二の鳥居の碑。

実物を見れば、何が起きたかは一目瞭然です。

鳥居の吹き飛ばされたもう半分はこちらに展示されています。

その凄まじさは想像を絶します。
これが一瞬の出来事なのですから、言葉が出ません。

ここは浦上街道という道だったそうです。
長崎っていろんな歴史が交わった街なんだなあと感じます。

こちらは山王神社。慰霊碑が建っています。

こちらのクスノキも被爆し枯れ木同然になっていましたが、驚異的な生命力で息を吹き返しました。
その力強さは、福山雅治さんの楽曲「クスノキ」によってたたえられています。
福山雅治さん自身も被爆二世です。

神社は今日も平和です。

こちらは旧長崎医科大学付属病院の惨状を伝えています。
病院であろうと容赦なくなぎ倒していきました。

これ何かと思ったら、11時2分を表しているんですね…。
そこで時が止まってしまった人も多数いるわけです。

詳細は分かりませんでしたが、長崎大学の慰霊碑でしょうか。
少し異様な雰囲気を感じました。

一方で危険な薬物を扱うキャンパス建設に反対する運動もあるようです。
そりゃまあ、近所にあるのは嫌かもしれませんけど…。

この門も原爆の遺構なのでしょうか?
説明書きだけではよく分かりませんでしたが。

更に進むと急坂が見えてきます。

こちらが浦上天主堂。原爆によって破壊された建物の一つです。
浦上天主堂の被爆遺構については保存するか、再建するかで意見が二分されましたが、アメリカ側の「遺構を撤去するなら再建の資金援助を行う」という申し入れを教会も長崎市長も受け入れ再建されました。
遺構として保存されることを選んだ原爆ドーム、再建されることを選んだ浦上天主堂。
どちらも当時の人たちにとっては「正しい」選択でしたが、果たして今後どのように判断されるのでしょうか。
人の判断とはかくも難しいものなのかと痛感させられます。

その遺構の一部は今も保存されています。
顔が吹っ飛んだ像がそのままにされており、キリスト教はこういう状態も受け入れるんだなあ…などと思慮にふけりました。

浦上天主堂から被爆した一帯が見えます。この上空に…

カトリック信徒12000人のうち8500人が亡くなったそうです。
アメリカ側はこの数字をどう思っているのでしょうかね。

こちらの建物には遺構が保存されています。

被爆前後の写真などはとてもショッキングでした。
今の自分がどんなに想像力を働かせても、現場での体験とは比べ物にならないでしょう。

こんな感じの慰霊碑がそこかしこに建っています。

こちらは長崎刑務所跡地。
爆心地に最も近い公共の建物でしたが、ご覧の通り跡形もなくなっています。

こちらは平和公園。

そしてこちらが平和記念像。
原爆ドームのような遺構があまり残っていない長崎では、原爆投下のシンボルたる存在となっています。
彫刻家北村西望の代表作で、今なお圧倒的な存在感を放っています。
瞑想にふけっているようにも、笑みを浮かべているようにも見えるその表情は、いかようにも解釈が出来そうです。

その横には折り鶴が多数つるされています。
日本人の祈りの象徴ですね。

作者の言葉も残っています。
右手は原爆、左手は平和を表しています。

そんな平和公園は、今日も平和でした。




これらは世界各国から寄せられたモニュメントです。
各国の違いがあって興味深く、純粋に美術館としても価値を感じます。
しかしソビエトやら中国やら、今なお世界をかき回す国からも贈られているのが私には皮肉にしか見えません。
そして当然、アメリカのモニュメントはありませんでした。
こんなところでも水面下の駆け引きが行われているのです。

こちらは平和の泉。
被爆者は体内の水分が一瞬で奪われたため、水を求めてさまよいました。

ここには水を求めてさまよった少女の嘆きが刻まれています。
悲惨、悲痛、ただただ辛いです。

こちらが爆心地公園。
浦上天主堂の遺構が残っています。

そしてこちらが爆心地。
特に何があるわけでもありませんが、何となく近づく気にはなれませんでした。

こちらは爆心地の説明書き。
現状人類最後の原子爆弾がさく裂した場所、ということになっています。
ただその後も原爆実験、水爆実験が繰り返され、第五福竜丸やビキニ環礁で被害が生じています。
だからここが人類最後、とはすでに言えないような気もしています。

75年は草木は生えぬと言われた長崎ですが、今もこうして元気に緑が育っています。

ここには被爆当時の地層が残っています。
瓦礫の中には生活で使っていたであろう用品が含まれていて、当時人が生きていた痕跡を感じることができます。

こちらの川には水を求めて多くの人が訪れました。
おかげでここは死体の山だったそうです。地獄絵図とはまさにこのことです。

最後はこちらの原爆資料館へ。
中身はあえて撮影しませんでしたが、私個人の印象としては
・広島→原爆の悲惨さを訴え、二度と繰り返すまいという強いメッセージ性がある
・長崎→淡々となぜ原爆が投下されたか、原爆投下によって何が起きたかあえて淡々と事実を伝える
というスタンスの違いがあるように感じました(あくまで私見です)。
どちらが正しいということはありませんが、しかし長崎の方が感情によらない分より展示内容がシビアであるようにも感じました。
例えば原爆で顔がぐちゃぐちゃになった人の写真が平気で展示されていたり、原爆で一家を失った人の悲痛な叫びが残されていたり…。
決して言葉にはしていない淡々とした展示内容の中に、強烈なメッセージを感じました。
また長崎は、世界における現代にいたるまでの核兵器の歩みについても触れている点が特筆できます。
二度と同じ惨劇は繰り返すまい、という強い決意を感じます。
何にしたって日本人であれば、広島も長崎も両方行くべきと感じます。
そしてどちらの資料館も強烈に訴えかけてきますから、何かしら強く心に残ることでしょう。

そんな長崎には原爆ドームのモデルも展示されています。

上から眺めることもできます。

こちらは浦上駅ですが、こちらも当然被爆しました。

さてココウォークに戻ってきましたが、観覧車を見てみるとなんと無料開放していました。

というわけで乗せていただきました。
こちらが屋上庭園。

こちらが南側。
スタジアムシティも中央に見えます。

そしてこちらは稲佐山方面。
福山雅治さんはこのふもとに住んでいた、と確か軍艦島のガイドの人が言ってました。

その反対側。
山の中腹まで建物がびっしりなのが分かります。

そしてこちらが浦上方面。まさしく原爆が投下された方向です。
こうして見ると確かに長崎市街地から少し離れているのが分かります。
また山の多い地形ゆえ被害は少なかった、などと言いますが、広島よりも威力が大きい爆弾を落とされて無事なわけがありません。

最後にバスからスタジアムシティが見えたので記念に。
このスタジアムの名前は「ピーススタジアム」。平和がいつまでも長崎にあらんことを。

海を渡って…

長崎空港に到着。ここの写真前もとった気がします。

空港の屋上には鐘があります。

世界遺産の展示パネルもあったりします。

前回来た時はこの隣の食堂に入ったので、今回はこちらの「しょうぶ」へ。

麦焼酎発祥の地、壱岐の水割り焼酎をいただきました。
水割りだと結構飲みやすくていいですね。ハマりそう。

長崎空港開港50周年記念の特別メニュー、そのぎんサーモン丼をいただきました。
これめちゃくちゃおいしかったですねえ。定番メニューになってくれたならとてもうれしいです。

カステラ2種類にかんころもち、堅あげポテトの九州しょうゆを買いました。

飛行機が遅れてイラっとしたので九十九島せんぺいも追加購入。

ここで保安検査場の中と外で会話できるの面白いですね。
糸電話とかでもよさそうですけど。ていうか今はスマホが。


帰りはなんかちょっとレトロな感じの飛行機でした。
帰れればなんでもいいです。

おかげでポテチがパンパンに膨らみました。
喜んでいましたが地上に降りたら元に戻ってしまいました。
まとめ
以上、長崎スタジアムシティホテル宿泊記と平和を考える一日の記録でした。
移動距離はさほど多くありませんでしたが、人生の中でも特に濃ゆい経験ができた二日間だったと思います。
そして長崎はまだまだ広いです。佐世保もあるし、五島列島にも行きたいです。
それがかなうのはいつの日かわかりませんが、いつかまた絶対来るぞ!と決意を新たにした、そんな長崎の旅でした。
その他の遠征記についてはこちら!↓