注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています
今回は東北楽天ゴールデンイーグルスの試合観戦のためにヨーク開成山スタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。
今回は初めて訪れる郡山、そして会津の旅。
新しい食べ物、新しい街、そして新しい出会いにあふれ、改めて東北のすばらしさを再確認する旅となりました。
簡単な旅程は下記のとおりです。
それではごゆっくりどうぞ!
1日目・郡山で試合観戦

朝一で郡山駅に到着。
何度も通過していますが、降りるのは初めてです。

ようこそ郡山。
どういたしまして私。

平日の朝でしたのでいささかあわただしい様子でした。
平日の観光はちょっと気を使います。

こういうきれいなステンドグラスとか、忙しいときは目に入らないんですよね。
日々の生活でこういうところを楽しめるようになると人生に余裕が出るんだろうな、と思っています。

郡山駅の栄えてない側に来ました。
それでも足早に歩く人は多かったです。

ずいぶんきれいなヨークベニマルだな、と思ったら本社だったようです。
東北のスーパーと言えばヨークベニマルのイメージですが、郡山に本社があるんですね。

観光バスの営業所があったり。

郡山駅のすぐ隣には保土谷化学工業の工場があります。
きっと郡山の経済を支えているんでしょう。

そんな平日の朝からやっているスーパー銭湯があります。
それがこちらのまねきの湯。


サインがずらっと並んでいました。
料金も安く、平日の朝にしては結構人がいました。
もしかしたら出勤前にサウナでととのってから行く人もいるのかもしれません。
最高の朝活ですね。うらやましいなあ。

こちらは美術館通り。
そのおしとやかな名とは裏腹にかなり交通量が激しく、郡山の幹線道路となっているようです。

改めてこちらが郡山駅。
郡山市は東北地方で仙台に次ぐ規模を誇り、郡山駅も東北の玄関口として栄えています。
郡山はGReeeeN(現GRe4N BOYZ)の誕生地なので、駅メロにもその楽曲が使われています。
ていうか改名してたの今知ったぞ。

郡山は「未来を拓いた「一本の水路」」というストーリーの元、日本遺産に登録されています。
明治維新後職を失った武士の救済、および新産業による近代化を進めるため、大久保利通はこの郡山という場所に目を付けていました。
それを実現したのが、猪苗代湖から郡山へと引かれた水路だという話です。
それまで荒廃していた郡山はこれを機に開拓され発展し、一時は日本一の米生産額を誇るまでになりました。
歴史ある街の多い東北において、明治維新以降栄えた郡山の歴史は異質とも言えるとのことです(そのためか東北各地にあるお祭りが郡山にはあまりありません)。

東京にいたら福島に「来て」と言われるし、福島にいたら「東京へ行こう」と言われるんだなあ…。
JR東日本は商魂たくましいですね。

郡山駅は開放的で機能的です。
東北の駅舎はどこもセンスが光ります。関東の駅もこういう感じにして欲しいな…。


駅の裏手には線路がたくさんあって見ごたえバツグンです。
郡山は貨物駅も兼ねているのです。

郡山駅の栄えてる側に来ました。東北第二の都市の風格があります。

恒例の地方アーケード巡り。

平日の朝なのでほとんど開いてないですけど。

郡山の繁華街。

こちらのアーケードも大きいです。中町というエリアだそうです。
郡山の中心部ですかね。

こちらにも郡山の水道史が残っています。

こちらは道路元標。
地方の道路元標巡りなんてのも地図マニアにはたまらんでしょうね。

道路にでっかい鳥居が立っていました。
車が通行するのに結構気を使いそうですが、どうしてもここに建てたい理由があったのでしょう。

福島と言えば酪王カフェオレ、そしてセブンイレブンの東北限定三陸わかめのおにぎり。
酪王カフェオレは福島のどこのコンビニやスーパーにも売っているので、見かけたらぜひ手に取ってみてください。
1976年から販売されている、福島のソウルドリンクです。

こちらはうすい百貨店。創業はなんと1662年、老舗中の老舗です。
今となっては福島県唯一の百貨店となってしまいました。

なんか傾いてるし、いろいろすごいお宅だ…。

朝ドラのまんぷく主人公ゆかりの地なんだとか。
見てないので特に感慨はないのですが、そのうち日本中どこもドラマやアニメの聖地になったりするんでしょうかねえ。

先ほどの鳥居はこちらの安積国造神社に続いていました。
郡山の人にはなじみ深い神社なのでしょう。

鐘ではなく石なのが面白いです。何かいわれがあるのでしょうか。

ひょえっ、なんやこいつら…

TOKIOはすっかり福島の顔に。
なんかいつの間にかメンバーがすっかり減ってしまったけど…。

青い窓、という児童詩集ゆかりの地だそうです。
郡山で育った人にはおなじみなのかな?


ふらっとタワレコに入ってみたらGReeeeNだらけでした。
郡山駅前のCDショップ(タワレコではない?)でミニアルバムを発売したのが歴史の始まりとのことで、まさに聖地ですね。


その他にもいろんなサインやパネルがあったり。



そして3.11直後に漫画家から贈られたであろうイラストもずっと置いてありました。
震災復興への道のりはいつまでも終わることはありません。

駅に戻ってきました。
あそこに見える福島県で最も高いビル、ビッグアイに行ってみます。




ビッグアイには無料で見られる展望フロアがあります。
このフロアには世界一高い場所にあるプラネタリウムもあります。

先ほどの保土谷化学工業の工場も上からよく見えます。

そしてこんなところにも一本の水路のストーリーが。
郡山の街を形作ったストーリーだけに、とても大事にされていることが分かります。

廃墟好きとしてはこういう建物たまらん…
廃墟巡りとかもしてみようかなあ…

お昼は郡山駅周辺で評価の高かった「蕎麦彩膳 隆仙坊」へ。
民家を改装して作ったお店だそうです。

一番上に書いてあった天かき揚げせいろを注文。
てんぷらは枝豆と小エビ、ホタテ、さらに田楽刺しがついてきます。
おそばは細麺ながらしっかりとした食べ応え、てんぷらもサクッとふわっとたいそうなボリューム。
田楽刺しも表面はカリッと、中はもちっと。
とにかく全部おいしい!東北はおそばも最高ですね。

続いてその近くにある大友パン店へ。
創業大正13年という老舗です。

郡山のソウルフードであるクリームボックスを購入。
更に酪王カフェオレとコラボしたクリームボックスなんてのもあったのでそちらも購入。
おやつにちょうどいいパンでした。見た目よりは軽く食べられちゃいます。
郡山に来たらぜひクリームボックスを。

そんなわけで試合を観戦。福島の空気感ってなんだか好きです。

夜の郡山駅。
新幹線に飛び乗れば翌日出勤できそうですし、実際そういう感じの人もいましたが…。

しかし私は贅沢に旅を楽しみます。
平日の旅行が一番罪悪感あって、そして気持ちいい。

郡山駅のパン屋さんでもクリームボックスを購入。
更に日本三大まんじゅうとされる薄皮饅頭、郡山の定番お菓子であるままどおるにいもくり佐太郎。
そしてシャケのおにぎりと山形牛のメンチカツも買いました。
このコロコロメンチカツ、非常においしかったです。郡山駅直結のスーパーで売っているので訪れた際はぜひ。
2日目・喜多方ラーメン+会津観光

ホテルは10階なのですが、すぐ近くにもっと大きなマンションを作っていました。
郡山もまだまだ発展しそうですね。

朝早すぎてまだあまり人がいない郡山駅。

ここから磐越西線に乗ります。
ライト兄弟が空を飛ぶ前から運行されている、歴史ある路線です。
磐越西線で頑張れば新潟まで行けるのですが、東北新幹線で大宮まで戻って上越新幹線に乗る方が早いです。
というよりバスが一番いいです。


景色を楽しみながら1時間半の道のり…(福島県でかい…)

途中でディーゼル車に乗り換え。独特の音と匂いが旅情を掻き立てます。

かわいい。

そして喜多方駅に到着。

通路もまた味があっていい感じです。

通路から見える駅や山並みもまた素晴らしい風景です。

喜多方と言えばなんといっても中華そば。
札幌、博多とともに三大ラーメンに数えられています。
日本を代表する大都市に肩を並べる喜多方、ラーメン文化の根付き具合を感じます。
ずるずる。

年季の入っている中華そばの看板もあったり。



駅そのものも雰囲気もありつつキレイになっていて良い感じです。

喜多方駅から通りが伸びています。
郡山に比べるとだいぶこじんまりとした街です。

こちらの源来軒は喜多方ラーメン発祥のお店とされています。
その始まりは1927年、大正時代にまでさかのぼります。
中国からやってきた潘欽星さんが、屋台を引きながら支那そばを売り始めたのが喜多方ラーメンの原点。
今では人口37000人に対し120店もラーメン屋があり、人口に対するお店の数は日本一です。
一方喜多方はラーメン文化が認知される前、1975年NHKが「蔵」を特集したことで知名度が高まりました。
その観光客を引き留めるために市が目を付けたのが「ラーメン」でした。
今度は80年に入りラーメンの方が特集されたりすると、日本三大ラーメンに数えられるほど広く知られるようになりました。
今では蔵よりもラーメンの方が有名になり、今に至っています。



でも蔵の方もまだまだ立派な観光資源です。
その数4000とも言われ、今もなお酒蔵、味噌蔵など福島の食を支えるため使われています。

この大通りに出ると目的地はもうすぐ。

看板が良く目立ちます。儲かってまんなあ。
英語表記もあり、インバウンド客もたくさん来ている様子がうかがえます。

こちらが坂内食堂。
先ほどの源来軒、まこと食堂と並び御三家と称される有名店です。
まこと食堂が惜しまれつつ閉店してしまったため、今や喜多方ラーメンの代名詞的な存在になっています。
喜多方ラーメン坂内というチェーンが日本全国にあったりしますね。

有名人もいっぱい来ています。

こちらがシンプルな中華そば。
福島の豊富な水を使って作られたスープは透き通っており、麵も手打ちでそんじょそこらの麺とは違います。実に美味しいです。
1958年から営業している老舗の味、お店の雰囲気も含めて喜多方ラーメンの神髄を感じられる一杯です。
朝7時から営業しているので、なるべく早く行くのが坂内食堂を楽しむコツです。

その近くには喜多方市役所がありました。
ラーメンどんぶりの形していないかな、と思いましたがさすがに違いました。

変電所かな?
電線の終わりってなかなか見ないので珍しいです。

この喜多方東高校、まだ使えそうに見えますが2021年に廃校となってしまいました。
せっかく立派な建物なので何か活用できればいいのですが…。ラーメン博物館とか?

こんなラーメンの街にも幸楽苑があります。喜多方で勝負するとかなかなかすごい度胸ですね。
でも普段食事するならチェーン店の方がありがたいかもしれません。

せっかく喜多方に来たのでもう一杯。
こちらの喜一は味でナンバーワンとの呼び声も高い名店です。

喜一という店名は、店主さんの先祖である吉田喜一郎からとったそうです。
後の野口英世と学友だったとか。すごい縁です。

1時間ほど待った後、やっとありつけた熟成しょうゆラーメン。
こ、これは…
うまい!!!
芸術品のように透き通っていながら旨味の詰まったスープ、もっちもち食べ応え満点な麺、どれをとっても満点です。
人生で食べた醤油ラーメンで一番と言っても過言ではありません。
実はこのお店塩ラーメンも大変有名なのですが、これだけ完成度の高い麺やスープであれば醬油よりもシンプルな塩の方がよりおいしさを感じられるかもしれません。
喜多方ラーメンと言えば醤油のイメージですが、このお店に限っては塩も十分選択肢に入ります。
個人的に喜多方だったら喜一が絶対おすすめです。
ただし朝からそれなりに待ちます。

本当はもう1,2杯行くつもりだったのですが、時間がギリギリだったこと、お腹もだいぶ膨れたこと、そして喜一がおいしすぎたのでここで止めておきました。
そんなわけで腹ごなしに喜多方をぶらり。

会津喜多方ラーメン館なんてのもあります。
お土産の喜多方ラーメンはぜひこちらで。


そして街歩きも十分に楽しめるものです。
喜多方は蔵とラーメンで決まりです。

こちらは会津若松に本社を置くリオンドールというローカルスーパー。
軽い気持ちで入ってみたのですが、福島のおいしい食材やお惣菜が並んでいて非常に楽しめました。

あとはラーメン神社なんてのもあります。
喜多方ラーメンソフトなる商品も売っているとか。なかなかゲテモノ臭がする…。


美味しいラーメンを作れる水があるということは、おいしいお酒も作れるということ。
こちらの大和川酒造では酒蔵の見学をさせてもらえるようです。

中はちょっとしたミュージアムになっていて、あまり時間はありませんでしたがなかなか楽しめました。

ここには日中線という路線があったそうなのですが、1984年に廃線となっています。

そんなわけで跡地はしだれ桜が植えられ、名所となっているようです。
春に来てみたいですね。

機関車も展示されていたりします。

磐越西線は当初渋沢栄一も出資した岩越鉄道という民間の路線だったそうです。
それをたたえたモニュメントのようですね。


他にも美術館などオシャレな建物がたくさんあります。

その辺に生活で使われている蔵があるのが面白いところです。
蔵は使ってナンボですからね。

そんなわけで喜多方を楽しんできました。

そこから数駅で会津若松駅に到着。

喜多方に比べると幾分大きな駅です。

線路が途切れている光景が好きです。

会津の各市町村のキャラクターだそうです。
福島県は大きく浜通り、中通り、会津地方に分かれていて、会津地方には17市町村が属しています。
実際に訪れるまではピンときませんでしたが、それぞれ完全に生活圏が分かれていて同じ福島県でも全然別物であることが実感できます。

そんなわけで駅の建物に大きなお土産屋さんもあります。
会津若松市は会津地方の中心都市だけあって駅も大変立派です。
会津若松市は人口の多さでは福島県内で郡山市、福島市、いわき市に次ぐ4番目ですが、福島県内には中規模の街が点在しているので他の3ヶ所に比べても引けを取らない規模感があります。
江戸時代には会津藩が福島で最大規模を誇っていたこともあり、古くからの歴史を持つ街です。

こちらが会津若松駅。
郡山からやってきた列車は全て会津若松駅が終着駅です。

ここから会津若松の観光地を巡る「まちなか周遊バス」に乗ることができます。
「ハイカラさん」と「あかべぇ」の2種類がありますが、違いは市内を回る方向です。山手線みたいにもうちょっと分かりやすい名前の方が嬉しいですかね。

早速やってきましたのは飯盛山。
有料のエスカレーターもありますが、やはりここは自分の足で登るべきでしょう。

頑張って頂上に登ってきました。
飯盛山は会津戦争の時に会津藩によって集められた10代の部隊、白虎隊が自決した場所です。
ここにはそれに関する碑や説明書きなどが並んでいます。
会津若松の他の観光地と併せて回ることで、より理解に深みが増すでしょう。

後ろを振り向くと素晴らしい景色が広がっています。
終焉の地にふさわしい場所だったのかもしれません。

そんな飯盛山で一番見栄えがするのがさざえ堂!
正式名称は「旧正宗寺円通三匝堂」で、1796年に建てられました。

ちなみにその前にもいろいろと興味深い建物があります。

何はともあれ登ってみましょう。

うおお、凄い…。こんな構造の建物見たことがありません。
そしてお札の数もすごい。

そんなに高くないので頂上まではすぐです。

そしてこの建物がすごいのは、行きと帰りで違う道になっているのです。
つまりDNAのように二重らせん構造になっています。
実際私が下りている最中子供たちがドタバタ登っている足音がしましたが、その子たちとすれ違うことがありませんでした。
入り口から出口まで一本道となっているのです。
この二重らせん構造はレオナルドダヴィンチが考えたと言われていますが、さざえ堂との関連性は分かりません。
少なくとも木造建築としては非常に珍しいとのことです。

そんなさざえ堂についてはここにも書いてあります。


見れば見るほど不思議な建物です。一見の価値ありです。

階段を降りると清流が流れていました。
触ってみたらとても冷たくて気持ち良かったです。

この木もなんだかご利益がありそう。

天高し ピサの斜塔と さざえ堂
(これくらいだったら自分にも作れそうだな…)

とても心地よい森林浴。

31キロにも及ぶ洞穴があるそうです。猪苗代湖から引っ張ってきたそうな。
福島において猪苗代湖というのは命の源なんですね。

ほほうこれが…
水がとてもキレイです。猪苗代湖の水って日本一の水質らしいですからね。
それにしても31キロって割と途方もない距離ですね。
掘ったのは江戸時代なので人力ですからねえ…。

なんか本陣跡があるようですが、有料なので外観だけ。

坂を下りて大通りに出てきました。

お土産店が建ち並んでいます。
修学旅行生が多いようで、学生向けのお店が多いですね。

次の目的地に行くバスが修学旅行生で混んでいたので、反対側のバスに乗って駅に戻ってきました。
赤べこと戯れたり。

サイダーを飲んだりしました。
さすがお水がおいしい。

ここには明らかに貨物駅があった跡があります。
貨物駅のないコンテナ集配施設をオフレールステーションというそうです。

バスに乗って引き続き旅を続けます。

続いてやってきたのは会津武家屋敷。
会津藩の家老だった西郷頼母の邸宅を中心に作られた博物館です。

背負い投げっ!
この銅像の西郷四郎は姿三四郎のモデルらしいです。躍動感すごいですね。
ところで、受け身を取れているように見えないのですが大丈夫でしょうか…?
このままだと死んでしまうのでは…

それでは中へ。

ここではお酒を造っていたようです。
福島にお酒は欠かせない存在なんですね。

これは会津戦争において、負けを悟った西郷家21人が自決する場面を表現したということです。
すごいシーンですね…。
ちなみに西郷頼母自身はその後も逃げて生き延びたため、卑怯者だとレッテルを貼られることもあるそうです。
果たして胸中いかばかりだったのか、今となっては知る由もありません。

家老の家を再現した施設は珍しいのだそうです。

お殿様が来ているところ。

ここはお殿様のトイレの下側。ここから出したものを出していたわけか…。

中はこんな感じ。お殿様と言えどウォシュレットもペーパーもないようです。

武具があったり。

軒下を見たり。

大河ドラマ八重の桜があったからか、綾瀬はるかさんがここで写真集の撮影をしたそうです。

こちらは当時東北一と言われた精米所を再現したもの。
江戸時代にこんな大きな機械があったとは驚きです。動力は水力だったとか。

外観もなかなかいいですね。

こちらは旧中畑陣屋を再現したもの。
野球日本代表の監督なんかもやった中畑清さんは福島出身ですが、この中畑と何か関係があるのでしょうか?

茶室なんかもあって風流です。
千利休の息子である千少庵が作ったそうな。

あと館長が中国と仲がいいとかで鑑真が置いてありました。

最後のお土産屋さんはかなり学生向けのネタアイテムが多かったですね(笑)
もちろん福島のおいしい食べ物や赤べこ、漆器なんかも置いてありました。

降りませんでしたが、東山温泉駅を通過。
駅と言いますが電車も線路もないのは、昔国鉄がバスと連絡した直通の切符を販売していたからだそうです。
また東山温泉自体も1300年の歴史があり、奥羽三楽郷にも数えられる名湯です。
時間がある方はぜひ。

続いてはこちらへ。大きなお濠が見えてきました。

ここは馬の練習場の跡地だそうです。
今は飲食店が並んでいます。

緑ばかり…

とても立派な石垣が見えてきました。

城跡を私財をなげうって守った人がたたえられています。
全国どこでもこのせめぎあいがあったんでしょうね。
確かに明治政府からしたら旧時代の城なんて邪魔なことこの上ないもんなあ…。
それで失われたものもたくさんあると思うと少し寂しさもあります。

この階段は武者走りと呼ばれ、随所に作ることで戦況に合わせて移動しやすくしていたとのことです。
このようなV字型は大変珍しいそうです。

そして見えてきたのが…

まさしく会津のシンボル、鶴ヶ城です。
世間的には若松城、あるいは会津若松城と呼ばれますが、地元では鶴ヶ城と呼びます。
明治新政府軍と旧幕府軍が争った戊辰戦争において、鶴ヶ城が舞台となった会津戦争はその象徴的な戦いです。
会津の人は今でも、最後まで戦い抜いた会津藩に誇りを持っているようです(展示物でそれを感じました)。
ただ会津の人が長州の人に恨みを持っているというストーリーは、明治維新の後観光を盛り上げるために作られたという話もあります。
もう120年も前の話ですから真相は分かりませんが、作られたストーリーで福島と山口が犬猿の仲になってしまったとしたらなんだかやるせない気持ちになります。

建物自体は取り壊されてしまいましたが、石垣だけはそのまま残されています。
建物も1965年に復元され、今は博物館となっています。



周りの景色もずいぶん様変わりしてしまったはずですが、ここから見る地形はきっと当時と同じだったはず。
会津戦争で追い詰められた人たちはこの景色をどう見ていたのでしょうか。
もっとも、戦争中でも子供がたこあげをしているとそれにみんな励まされていたそうです。

山は6月なのに雪をかぶっています。寒そうですねえ。

これが(多分)福島県のシンボル磐梯山。

こちらが本丸跡。何もありません。

その奥には茶室なんかもあります。お茶を楽しむのも優雅ですね。

本当は喜多方ラーメンでお腹いっぱいにして夜は軽めにするつもりでしたが、2杯だけ?だったのでお腹がすきました。
そこでこちらのとんかつかつ一へ。

会津に来たら食べたいのが会津ソースカツ丼。
起源はよく分かりませんがとにかく会津にはソースカツ丼を出す店がたくさんあり、観光資源の一つとして活用されています。
とにかくカツがサクサク!ソースも甘みがある!ご飯も美味しくてお箸が止まらない!
しかもふたが閉まらないこのボリュームで1000円切るというお値段にもビックリです。
米どころ福島はカツ丼も最高です。
結果的に喜多方ラーメンをもう一杯いかなくてよかったかもしれません。

お食事が終わったら駅から歩いて行ける距離の富士の湯へ。
ここはなんとたったの450円で温泉が楽しめます。しかもかなり広くてゆったり楽しめます。
個人的に水風呂がとても気持ちよく、もしかして福島の水は水風呂にもいいのかな?と思ってしまいました。
会津若松の旅の〆はぜひ富士の湯へ。

駅前には白虎隊の銅像があり、さらにあいづっこ宣言なる板があります。
「ならぬことはならぬものです」とは、会津藩校「日新館」から続く教えだということです。
やってはいけないことは、たとえどんな理由があってもやってはいけないこと…
大人にも学びがある教えです。

そんなわけで郡山に戻ります。

車内から磐梯山がキレイに見えました。
先ほど形を覚えたので気付くことができました。学びは大事。

調子に乗っていろいろ買いすぎてしまいました。
会津ニンニクを使った餃子、会津アスパラを使った肉巻きフライ、会津極み醤油を使ったからあげ、名倉山酒造のにごり酒、桃ジュース、ソフトクリーミィヨーグルト、お土産の喜多方ラーメン、そして福島のマグロ寿司。
ぜーんぶ最高でした。
特に会津アスパラが非常にみずみずしくてびっくりしました。そしてマグロは醤油を忘れたのにとても味わい深く。
にごり酒は初めて飲みましたが、甘酒みたいな風味があってとっても飲みやすく。
桃ジュースはとにかく濃く。
そしてヨーグルトは飲めるはずなのにどろっどろでびっくりするほど飲ます気を感じさせませんでした。
だってパッケージに「のみにくい」って書いてありますからね。
会津の雪、という二つ名も納得の飲みにくさです。
どこがソフトでクリーミィやねん、という感じですが。
3日目・水郡線を乗り通す

開店時間を狙って、郡山駅の福豆屋に来ました。
今晩の食料を確保するためです。

昨日乗った磐越西線は極上の会津行きでした。
もっと特急とか走らせて欲しいなー。

大人しく新幹線で帰ってもいいのですが、せっかくなので郡山でなければできない帰り方をします。

それがこちらの水郡線。
文字通り水戸と郡山を結ぶゴリゴリのローカル線です。
奥久慈清流ラインという愛称も付けられていて景色も良さそう。
3時間半にわたる長旅です。




常陸大子駅で20分ほど停車するようなので降りてみました。

またもSLを発見。
旅をしているとSLによく会います。

これまで秘境駅ばかりだったのでなんだか立派な駅前に見えます。

常陸大子駅の駅舎。





とまあ景色と楽しんでいたらあっという間に水戸に到着しました。
水戸に近づくにつれて車内が混みあい満員電車となりましたが、自分と同じ乗り通す人もいました。
乗り鉄にはたまらない路線ですもんね。


待合室に全駅が書いてあります。
全部乗り通してきたので達成感もひとしお。

水戸駅で昼食をいただきます。

名物はから揚げそば。とにかくから揚げが大きいです。
つゆにひたひたにして食べるとから揚げがつゆを吸ってとてもおいしいのです。

郡山駅でエキソンパイとみそぱんを買ってきました。
パッと目に入ったのでとりあえず買ってみたのですが、どちらも大変美味しかったです。郡山のお菓子はどれもハズレがないです。

最後のお楽しみはこちら、海苔のり弁887。
海苔のり弁は駅弁味の陣で駅弁大将軍にもなったお弁当ですが、こちらは郡山産最高級米「ASAKAMAI 887」を使ったパワーアップバージョンです。

とにかく「お米」をおいしく食べることに注力していて、とにかくご飯がおいしいです。
他のおかずも福島の食材を使ったものが多く、まさに福島の味。
旅の〆にぴったりなお弁当でした。
まとめ
以上、2泊3日で存分に福島県を堪能した旅でした。
福島に関してはやり切ったと思えるぐらい充実した旅ではありましたが、会津若松市内の街並みをもっと楽しみたいとか欲もいろいろ出てきました。
つまり福島の魅力はまだまだこんなもんじゃないということでしょう。
次は新しくなった福島ファイヤーボンズの試合観戦かな?
その他の遠征記についてはこちら!↓