一般的に、一度働き始めるとその業種で一生涯働くことになります。
転職したり、場所を変えたりということはありますが、基本的にはサラリーマンとして働いている人は定年までサラリーマンとして勤めあげますし、飲食店で働く人は体が動く限りは料理人として腕を振るいます。
漁師は漁師、運転士は運転士、大工は大工として働き続けることになります。
ところが、プロスポーツ選手はそうではありません。
プロ野球選手の引退平均年齢は29歳。Jリーガーの引退平均年齢は25歳と言います。
それまでに一生分稼げていればいいですが、そういった選手はごくごく稀です。誰しもが選手を退いた後のことを考えなければいけません。
引退する選手のほとんどは「まだやりたい」と思っているはずですが、チームから「要らない」と言われてしまえばそこで終わりです。華やかな世界ですが、他の職業に比べてあまりに過酷な業界です。
そこで今回は、どの選手も避けて通れないセカンドキャリアに着目してみました。選手の数だけセカンドキャリアがあります。
1.選手引退後の進路
NPBのサイトに2015年から2019年までの引退後の進路をまとめたデータがありましたので、このデータからいろいろ考えてみましょう。
まずそのままNPBに残る割合を見てみると、2015年の48%から2019年の60%に増加しています。
これ自体は喜ばしいことですが、よくよく見てみると育成選手契約の部分が大きく増えています。
これはつまり、「野球を続けたいなら給料はぐんと下がるけど環境は用意してあげるよ」ということですね。
それ自体はいい事ですが、現実問題戦力外通告を受け、その後育成契約を結んで一軍でバリバリ活躍した選手がどれくらいいるかと考えると、なかなか難しいところではあります。
NPBに残った人を改めて見てみますが、コーチ・監督は枠が決まっていますし、そもそもそれなりの実績がないと就けません。球団職員の人数もほとんど横ばいです。
続いてその他野球関係を見てみますと、2015年が20%なのに対し2019年は16%と少し右肩下がりです。
注目すべきは独立リーグと社会人野球で、独立リーグは増えているのに対し社会人野球は減っています。
現状社会人野球の縮小傾向は避けられませんから、独立リーグがもっと盛り上がって安心して野球を続けられる環境を作ることは今後の野球界の課題と言えます。
またプロとアマの垣根は少しずつ取り払われてはいますが、学生野球指導者の少なさを見るとまだまだ物足りなく感じます。ここが増えてどんどんプロの技術を学生野球に広めてほしいところです。
続いて野球関係以外について。こちらは年によってばらつきがあり、一定の傾向は見えませんが、おおよそ15%前後で推移しています。
ただ進学が増えていることから、学生野球の指導者になるために教員免許を取得しに行く人も増えてきているようです。
そして未定・不明の選手は全体的に減少傾向にはありますが、0にはなっていません。
全体としてみてみると、育成選手契約が増えているおかげで行先未定の選手が減っている、という見方ができるでしょうか。
ただ育成選手として続けられるのもたかだか数年ですから、一生涯を考えた時に改善しているか、と考えると疑問符が付くところではあります。
2.選手引退後の現実
選手引退後が不安かどうか、というアンケートによれば、プロ野球選手は48%、Jリーガーでは7割を超える選手が不安を持っています。
一方でプロ野球選手のうち、将来のことを考えている選手はわずか10%。競技に専念しているうちは、引退後のことを考える余裕はなさそうです。
現実問題、プロスポーツ選手が社会に出ることになったとき、
1.学歴が高卒の場合が多い(もちろん大卒もいる)
2.スポーツしかやっていないため、一般的に身に着けている事務的なスキルが欠けている(スポーツのスキルは評価されない)
3.競技でどれだけの成績を上げようが、社会に出ると評価されない
といったことは重く受け止めなければなりません。
プロスポーツ選手は小さい時から神童として扱われ引退まで至る場合が多いですが、いざ社会に出ると並以下のスキルとみなされるため、プライドをかなぐり捨てていかなければなりません。
引退後の選手には辛い現実が待っているのです。
3.プロスポーツ選手が社会に出るうえでするべきこと
ここで、引退後の選手のそれぞれの歩みをまとめた良い記事があったのでご紹介します。
靴屋、ウェディングプランナー、叔父の携帯電話修理会社、漁師、ホテルマン、介護、警官、伊勢丹のセキュリティ…。
実に多種多様ですが、それぞれの選手のコメントを見ていると、引退後の選手が社会に出るうえで必要なことが見えてきます。
1.プロ選手としてのプライドを捨ててがむしゃらになれるか
2.自分の強みを見つけ出し、本当に自分のやりたいこと、やれることを理解できているか
1がなぜ必要かと言えば、生きていくためには自分のスキルが社会においては未熟であることをしっかり理解し、一から学んでいこうという姿勢が必要になってくるためです。
それまで日本のトップクラスで争っていた選手にとっては、本当に酷な話ですよね…。でも現実はそうなっています。
2がなぜ必要かと言えば、プロ選手としてプレーしていた以上競技のスキルは日本トップレベルだったわけですから、間違いなく社会にも生かせる部分はあるわけです。
それを自分でしっかり理解し、また自分のやりたいことを見つけ出し自分の強みを生かしていく姿勢が必要になるためです。
正直上の記事を読んでいると、「この選手大丈夫かな?」と思う選手もいますね…。この記事自体だいぶ古いので、今それぞれの選手がちゃんと続けられているか気になるところです。
4.成功例:讃岐うどん店店主・條辺剛さん
成功例を上げればキリがありませんが、今回は條辺剛さんを紹介したいと思います。
條辺さんは1999年のドラフト5位で読売ジャイアンツに指名。高卒ながら2年目には頭角を現し、3年目にはチームの日本一に貢献します。
しかしながら、活躍するにはまだ体が出来上がっていませんでした。肩の痛みが悪化していき、24歳の若さで引退を余儀なくされます。
引退後、縁あって宮崎県内のうどん店で働き始めます。元々飲食店経営に興味を持っていた條辺さんは、うどん作りに魅力を感じます。
そしてうどん店経営のノウハウを学ぶため、うどんの本場香川県にて当時まだ結婚していなかった彼女とともに1年半修行を重ねます。
この時もっと早くに独立の話もあったそうですが、それを断ってまで修行を重ねたのが素晴らしいです。客観的に判断できている証拠です。
その後結婚し、奥さんの実家がある埼玉県で「讃岐うどん 條辺」を開業します。
のれんの文字は長嶋茂雄さんが書いたものを用いています。
プロスポーツ選手がセカンドキャリアとして飲食店を始める例は数多くありますが、その多くは数年のうちに廃業してしまいます。
しかし讃岐うどん條辺は開業から13年たった今も繁盛しています。
他の選手との違いとしては、奥さんと一緒に本気でうどん作りに取り組んだというところでしょう。しっかりと独立のためのビジョンを描き、そしてプロ選手としてのキャリアを全て捨ててうどん作りに取り組む。
なかなかできることではありません。
私も一度お店に伺ったことがあるのですが、本場讃岐のうどんとそん色ない味で、もちろんお値段もお手頃。近所にあったら絶対通うお店だなあと思いました。
もちろんひっきりなしにお客さんが入っていましたし、綺麗な奥さんがてきぱきと接客をこなす裏でひときわガタイの大きい條辺さんが黙々とうどんを作っていました。マウンド上の姿とは違う、すっかりうどん職人としての背中に変わっていました。
こりゃ長続きするわ、と感心したものです。お近くの人はぜひ行ってみてください。
5.まとめ
以上、プロスポーツ選手のセカンドキャリアについて考えてみました。
技術としては日本トップクラスのものを持っているプロスポーツ選手ですが、それを生かせる場はごくごく限られています。
とても悲しいですが、この現実は選手全員が重く受け止めなければなりません。
スムーズにセカンドキャリアを歩んでいけるよう、日本のスポーツ界全体が一体となって対策を練ってくれるといいなあと思います。
選手が将来の不安を持たずに競技に打ち込めることを願って。
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