Bリーグ2020-21シーズン、見事千葉ジェッツがチャンピオンに輝きました!
シーズン勝率1位を誇った宇都宮ブレックスとのファイナルは記憶に残る激闘だったといえるでしょう。
2年連続ファイナルで敗れ涙をのんだ千葉ジェッツの初優勝は千葉県民にも大きな力となったのではないでしょうか。
今回はそんな千葉ジェッツの初優勝を記念しこれまでの軌跡をたどってみたいと思います。
初年度たった勝率3割台、さらに倒産の危機にまで瀕したチームは、ある1人の素人社長を軸に千葉県民を巻き込みながらBリーグナンバーワンの人気チームへと成長していくのでした。
1.倒産の危機に瀕したbjリーグ時代
千葉ジェッツがbjリーグへと参入したのは2011年のこと。当時はプロであるbjリーグと実業団中心のJBLの二つのトップリーグが並列している状態でした。
このあたりの複雑な歴史は下の記事に簡単にまとめています。
ヘッドコーチに元カタール代表HCを務めたエリックガードー氏を招へいし、開幕戦で前年度覇者の浜松・東三河フェニックスに勝利をおさめ上々の滑り出しを見せた千葉ジェッツ。
が、その後は経験不足もあってか低迷。最終的には東地区10チーム中9位、勝率は3割台に終わりました。
さらに大問題だったのが経営状況でした。観客動員は1試合当たり1000人台、スポンサー収入も1.5億円と、創設早々に倒産の危機に陥ってしまったのです。
そんな千葉ジェッツを救ったのは、一人のスポーツ素人社長でした。
2.打倒トヨタ、目指せディズニー?
2012年千葉ジェッツの社長に就任したのは、スポーツ経営の経験がない、ましてやバスケットボールをプレーしたこともない、島田慎二氏でした。
島田氏は大学卒業後旅行会社に就職して優秀な成績を上げると、弱冠25歳にして独立。事業は成功し、売上高18億にまで成長します。
しかしかねてより40歳までにセミリタイアしたいと考えていた島田氏はこれを売却。以降はのんびりと仕事をこなしながら世界中を旅行していました。
そんな島田氏に千葉ジェッツ社長の話が舞い込んできます。先述の通り千葉ジェッツの経営はボロボロ、成績はズタズタ、とても一筋縄ではいかないことは火を見るよりも明らかでした。
しかし島田氏は「これまでは自己的に生きてきた、これからは他己的に生きよう」と決意、これを受諾しました。
まず島田社長が手を付けたのは、株式の整理からでした。そもそも、どこの誰が株を持っているのかすらわからない状態だったのです。
さらにそこからはスポンサー集めに奔走、4カ月でなんとか1.5億円を集め倒産の危機を乗り越えました。この時期が一番忙しく、一番大変だったといいます。
なにはともあれ、やっとスタートラインに立つことができたのです。
プロバスケチームとしてようやくスタートを切った千葉ジェッツ。ここから島田社長の快進撃が始まります。
まず島田社長が掲げたのが、「打倒トヨタ!」でした。2013年からのバスケ界はbjリーグとNBLが並立していましたが、基本的には実業団主体のNBLの方がレベルが高い状態でした。
その中で優勝候補の筆頭が、日本を代表する企業であるトヨタのバスケチーム、トヨタ自動車アルバルクでした。
そこで、千葉ジェッツはbjリーグからあえてレベルの高いNBLに転籍し、「打倒トヨタ」を掲げたのです。
人間というのは、弱いものが強いものを倒す下剋上のストーリーが大好きです。島田社長は船橋の企業に「みんなで集まって最強のトヨタを倒しませんか?」と呼びかけまわったのです。
「打倒トヨタ」の強いメッセージによって、少しずつ地元企業の支持を得ることに成功しました。
しかしそれだけではお客さんは集まりません。ここで島田社長が「素人の強み」を発揮します。
島田社長が目指したのは、同じバスケのチームでもなく、ましてやプロ野球やJリーグでもなく、ディズニーのようなエンターテインメントだったのです。素人ならではの柔軟な発想です。
試合会場は映画館をイメージし、プロジェクションマッピングや花火などの演出や照明にはとにかくふんだんにお金を使って非日常のエンターテインメント空間を作り上げていったのです。
さらに千葉ジェッツというチーム名を意識し、来場したお客さんには「ご搭乗ありがとうございます!」と声掛けをするなど細部にまで手を抜きませんでした。もはやアリーナ全体で飛行機コントをやっているようなものです。
このように千葉ジェッツは、「負けても楽しい」と思わせるアリーナ作りを推し進めていったのです。
船橋アリーナの記事の中でも演出のハデハデっぷりをご紹介しています。
その一方で、地道な地域密着活動も怠りませんでした。地域の学校行事やお祭り、イベントごとなどには積極的に選手やスタッフを派遣し、その数は年間200回にも上りました。
社員の福利厚生にも力を入れ、なるべく残業を減らし給料を増やすことで社員の働くモチベーションも高めていきました。
こうした努力の甲斐あって、Bリーグに移行する前年の2015-16シーズンには日本のバスケチームで初めて観客動員10万人を達成しました。
3.3度目のファイナルへ
順調に観客動員を増やし売り上げは伸びていく一方で、成績は伸び悩みました。bjリーグでもNBLでもどうしてもセミファイナルまでたどり着くことができません。
しかしBリーグに移行した2016‐17シーズン、いきなり結果を出します。天皇杯で栃木、三河、川崎といった強豪を次々に撃破し、優勝を果たしたのです。
そこから波に乗った千葉ジェッツは天皇杯3連覇の偉業を成し遂げ、一躍人気実力ともに日本バスケのトップチーム仲間入りを果たしました。
それでも、どうしてもBリーグ優勝にはあと一歩手が届かないシーズンが続きます。2017-18、2018-19シーズンと2シーズン連続でファイナルまでたどり着きますが、かねてよりのライバルアルバルク東京に阻まれ準優勝に終わります。
しかし2020-21シーズン、いよいよ歓喜の時を迎えます。1回戦で三河、セミファイナルで琉球を撃破し迎えたシーズン勝率1位、宇都宮ブレックスとのファイナル。
第1戦、第2戦は千葉、宇都宮がそれぞれ持ち味を発揮し1勝1敗で迎えた運命の第3戦。
第3クォーター終了時点で50‐50の同点という大激戦の末、第4クォーターで千葉が突き放しとうとう悲願の初優勝を手にしたのでした。
bjリーグ出身のチームとしてはBリーグ初めての優勝という快挙でした。
4.まとめ
今では島田氏は社長を退任し、Bリーグチェアマンを務めています。それでも千葉ジェッツの人気や実力は衰えることはなく、島田氏の方針が現在も守られていることがよくわかります。
これからも千葉ジェッツが日本バスケ界をけん引する存在となることで、日本中から千葉ジェッツのように頂点を目指す市民チームがどんどん現れるようになれば日本バスケ界の未来はもっと明るくなることでしょう。
Bリーグのシンボルチームとしてこれからも走り続けてほしいと思います。
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