Bリーグ2021-22シーズン、見事宇都宮ブレックスがチャンピオンに輝きました!
千葉ジェッツ、川崎ブレイブサンダースといったリーグ屈指の強豪を破り、最後はシーズン歴代最高勝率を誇った琉球ゴールデンキングスとのファイナルも制した見事な優勝でした。
前年にファイナルで敗れ準優勝で涙をのんだブレックスの優勝は、栃木県民にも大いにエネルギーを与えたでしょう。
今回はそんな宇都宮ブレックスの優勝を記念しこれまでの軌跡をたどってみたいと思います。
ブレックスのホームブレックスアリーナ宇都宮のご紹介はこちら!
1.初優勝から震災危機
ブレックスが誕生したのは2007年のこと。
この年に開幕する日本バスケットボールリーグへの参入を目指し設立されました(この時期はいろんなリーグが乱立していたので詳細は省略…)。
一時は会員資格が取得できないという危機もありましたが、大塚商会アルファーズから会員資格を譲り受け2部リーグから歴史はスタートしました。
これは大塚商会の会長が栃木出身だったのが縁となったようです。捨てる神あれば拾う神あり、というところでしょうかね。
一方のアルファーズは現在越谷に本拠地を移しB1リーグを目指しています。アルファーズについては下記の記事で(ブレックスについても触れています)。
初年度は3位に終わるもののプレーオフで勝ち上がり、気付けばいきなりの優勝を果たしていました。この頃から勝負強さは発揮されていたんですね。
翌シーズンは一部リーグに昇格するものの日本トップレベルの戦いは厳しく、8チーム中の5位に終わります。
ところが翌2009‐10シーズンは見事に適応しレギュラーシーズンは2位、さらにプレーオフでまたも勝ち上がり、創立からたったの3シーズンで見事日本一の座につきました。
当時実業団が主流だった日本バスケ界において、プロチームが優勝するのはリーグ42年の歴史で初の出来事でした。
しかし逆に言えば支えられる大企業がいないブレックス、2011年には東日本大震災が襲い掛かります。
シーズン自体も調子が上がらなかったうえに震災の影響でシーズンが中止、入場料収入やスポンサー収入が激減。
順調だった運営は一気に暗礁に乗り上げてしまいます。
2.経営改革、そして熱いファンのサポート
そこで、ブレックス運営会社の社長藤本光正氏は、組織運営の方式をトップダウンからボトムアップへと変革します。
これにより各部署の裁量で動けるようになり自由度がアップ。結果、効率化が図られ自由な発想も生まれやすくなり、売り上げを回復させることに成功したのです。
更に心強いことに、栃木には日本一ともいえる非常に熱いファンがいたのです。
ブレックスでは2階にB-rAidsと呼ばれる応援団がいて、アリーナ全体の一体感を生み出すべく応援を行っています。
中にはホームアウェー関わらずすべての試合を応援する熱狂的なファンまでいるほどです。
おかげでブレックスの観客動員数はリーグでもトップクラス(収容人数いっぱいいっぱい)、アウェーでもアリーナの半分を黄色に染め上げてしまうほど。
もちろん観客全員に応援を強要するものではありませんが、それでもアリーナで試合を見ているとその一体感にのめりこみ思わず一緒に応援をしてしまうのです。
この空気感は生で体験しないと楽しめないので、ぜひ宇都宮へ!
3.Bリーグ初代チャンピオン、そして2度目の頂点へ
二つのリーグが合併して誕生したBリーグにももちろんブレックスは参戦。
するとここでもいかんなく勝負強さを発揮!
強豪ひしめく東地区で優勝を果たすと、その勢いでプレーオフも勝ち上がり、見事初代Bリーグチャンピオンに輝きました。
2020‐21シーズンもまた東地区で優勝を果たすもののファイナルで千葉ジェッツに敗れ準優勝。
さらにライアンロシター、ジェフギブスといった二本の柱を失い、今シーズンは厳しい戦いが予想されました。
しかし昨シーズンの悔しさをばねに、苦しみながらもワイルドカードでプレーオフへの出場権を獲得。
千葉、川崎といった強豪をアウェーで破ると、ファイナルで西地区1位の琉球を退け、見事下克上での優勝を果たしました。
今後もBリーグを引っ張っていく存在として輝き続けるでしょう。
4.まとめ
以上、宇都宮ブレックスのこれまでの軌跡を紹介しました。
Bリーグでは依然として大企業がサポートするチームが強いという状態は続いていますが、このブレックスをはじめとする市民チームも十分に力をつけ、今や互角以上の戦いを繰り広げられるようになってきました。
決して大都市とは言えない宇都宮の市民チームが、こうして日本屈指の強豪になれるというBリーグは、全国の地方都市にとって希望となることでしょう。
これからもブレックスは地方都市の星としてBリーグをけん引して欲しいと思います。
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