プロ野球、Jリーグ、Bリーグ、日本では様々なスポーツが行われています。
そんな中、一年の最後に最も盛り上がるスポーツイベントと言えば、有馬記念ではないでしょうか。
今年は12月25日に行われ、1996年には売上金875億円でギネス世界記録に登録、入場者数も16万人を超えるなど、その盛り上がりは日本最大級と言ってもいいでしょう。
今回は、競馬を知らない人でもわかるよう有馬記念について解説、そして印象に残るレースをご紹介します。
1.有馬記念の歴史
関東にある中央競馬の競馬場と言えば、東京競馬場と中山競馬場です。
しかし、日本ダービーなど華やかなレースが多い東京競馬場に比べ、中山競馬場は中山大障害という障害レースしかなく、非常に地味な存在でした。
そこで、当時日本中央競馬会の理事を務めていた有馬頼寧が、プロ野球のオールスターに着想を得て「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を出しました。
頼寧はプロ野球東京セネタースのオーナーを務めていた経験もあり、それが生かされたようです。
そうして行われたのが、第一回中山グランプリです。
当時、グランプリという言葉は黒澤明監督の羅生門がヴェネツィア国際映画祭のグランプリを受賞した影響で映画用語のイメージが強く持たれていました。
そのため適当でないとしてほかの案も出されましたが、どれもしっくりこなかったため中山グランプリの名称が使われました。
更にこれに合わせてスタンドの改修も行われ、1956年12月23日、いよいよ中山グランプリが開催されました。
天皇賞の優勝馬3頭、クラシックの優勝馬4頭がそろうまさにオールスターで、当時としては異例の2万7000人を超える人が集まりました。
このように大盛況のうちに終わった中山グランプリでしたが、ここで大きな事件が発生します。
有馬頼寧が、グランプリからわずか17日後に亡くなってしまったのです。
そこで、この功績をたたえ「有馬記念」と名称を変え、現在に至っています。
今でも競馬で「グランプリ」と言えば有馬記念だと通じるのは、上記の経緯があるからです。
現在では有馬記念は馬券の売り上げが日本一になるほどの大レースに成長し、1996年にはギネスにのりました。
今や日本競馬と言えば日本ダービーと有馬記念と言えるほどでしょう。
2.有馬記念名レース
そんな有馬記念には、日本競馬のすべてが詰まっていると言っても過言ではありません。
そこで今回は、有馬記念、いや日本競馬史上に残る名レースの数々を紹介します。
・1965年 シンザン
残念ながら私はこの時生まれていないのですが、YouTubeに貴重な映像があったのでご紹介したいと思います。
このレースの主役は、なんといっても戦後初のクラシック三冠を達成し、宝塚記念と天皇賞秋を制したシンザンです。
映像を見てみると、今では考えられないくらい大外を回っていますね。それだけ内側が荒れていたということでしょうか。
その分馬が群衆に紛れてしまいますが、ゴール前で現れた一番外のシンザンが抜け出し優勝しました。このレースで見てもやはり一頭レベルが違うことが分かりますね。
・1990年 オグリキャップ
今でも語り草になる伝説のレースがこちら。
当時のアイドルホース、社会現象を巻き起こしたオグリキャップのラストランです。
普通、中央競馬は中央競馬出身の馬が走り続けることが多いのですが、オグリキャップは非常に珍しい地方の笠松競馬出身。
そんな経歴もあって、いわば「シンデレラストーリー」を持ったオグリキャップは大変な人気を獲得していました。
オグリキャップの生い立ちはそれだけで記事が書けるほど濃密なもので、数々の名レース、そしてライバルとの戦いを演じてきました。
そんなオグリキャップのラストラン。この年、天皇賞秋で6着、ジャパンカップで11着に終わったオグリキャップは、限界説もささやかれていました。
オグリキャップは終わった…そう思われていた中行われた最後のレース、第35回有馬記念。
スローペースで進んだレースは第4コーナーへ。中段から抜け出したオグリキャップが抜け出し、粘って見事一着でゴールイン。
実況の大川さんは興奮のあまり、左手を上げた武豊に対して「右手を上げた武豊!」と間違えるほど。
17万人の観衆も熱狂に包まれました。
・1993年 トウカイテイオー
1993年有馬記念の主役はトウカイテイオー。
トウカイテイオーは、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフの子供。無敗のまま皐月賞、日本ダービーを制し、天才の名をほしいままにしてきました。
しかしそんな天才を待っていたのは、ケガとの戦いでした。
三冠が期待された菊花賞の直前、レントゲンで骨折が判明。このニュースはNHKでも取り上げられるほど大きく報道されました。
以降、3度の骨折を経験。思うように走ることができず、前年の有馬記念では11着と惨敗。
1993年にはほかのレースに出走できず、年末の有馬記念が最初で最後のレースでした。
さらにこの年はビワハヤヒデ、ウイニングチケットなどG1馬が8頭揃う、非常にレベルの高いレースでした。
364日ぶりにレースとなるトウカイテイオーは4番人気。ファンも期待はしていましたが、実際に勝利を予想するファンは多くはありませんでした。
しかしトウカイテイオーは中段の好位につけると、残り100mでビワハヤヒデを捉えます。その後たたき合いを制し、見事グランプリホースに輝きました。
この奇跡の復活劇は多くの人の涙を誘いました。
・1999年 グラスワンダー
第44回の有馬記念は、90年代を代表するライバル二頭の対決に注目が集まりました。
まずは、前年の有馬記念を制し、宝塚記念も制したグランプリホース、グラスワンダー。
そしてもう一頭は、天皇賞を春秋ともに制し、ジャパンカップも優勝したスペシャルウィーク。
まさにライバルと呼ぶにふさわしい二頭の争いは、最後の最後まで目の離せない展開となりました。
まずスタートすると、グラスワンダーは後方からの競馬を展開。しかし、スペシャルウィークはさらに後方からグラスワンダーをマークする形でレースを進めていきます。
そのまま直線に入ると、二頭は一気に競りかけます。そこにツルマルツヨシ、テイエムオペラオーも突っ込んできますがわずかに届かず。
途中グラスワンダーが失速しかけますが、スペシャルウィークの伸びを見てグンと加速。一気にそのままゴールへなだれ込んでいきます。
結果は写真判定に持ち込まれますが、スペシャルウィークの鞍上武豊がガッツポーズをしたためスペシャルウィーク有利、かと思われました。
しかし結果はグラスワンダーの勝利。差はわずかの4㎝だったと言います。まさに歴史に残る激闘だったと言えるでしょう。
結局、二頭ともここで力を使い果たしてしまったのかスペシャルウィークは引退、グラスワンダーも本来の力を取り戻すことなく引退。
それほどの戦いだった、と言えるでしょう。
・2000年 テイエムオペラオー
2000年の競馬界は、まさに世紀末覇王テイエムオペラオーを中心に回っていました。
2月に京都記念を制すと、天皇賞春と秋、宝塚記念、ジャパンカップとこの年のG1を総なめ。
そんな中、単勝1.7倍の一番人気で押された有馬記念。
圧倒的人気のテイエムオペラオーを待っていたのは、他馬の徹底的なマークでした。
スタートを切ると、すぐに他の馬に囲まれてしまいます。
そのままずっと囲まれ、進路をふさがれたまま最後の直線を迎えます。
「テイエムオペラオーは負けた」…誰もがそう思った瞬間、中段の馬群から一頭抜け出してきました。
それこそが、テイエムオペラオーだったのです。
このレースで前人未到の重賞8連勝、G1レース5勝。2000年というミレニアムな年を年間無敗で走り切って見せたのです。
この記録は未だ破られていませんし、おそらく今後も破られないでしょう。それだけの圧倒的なパフォーマンスでした。
・2005年 ハーツクライ
・2006年 ディープインパクト
第50回を迎えた2005年有馬記念、その主役はディープインパクトでした。
シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬となったディープインパクトは社会現象ともなり、有馬記念当日は16万人が集まりました。
単勝1.3倍に推されたディープインパクトへの興味は、「どのようなレースをして勝つか」ということだけ。負ける姿など誰もが想像しませんでした。
レースがスタートすると、ディープインパクトはいつものように後方からの競馬。
一方、4番人気のハーツクライは3番手につけます。
最後の直線、やはりディープインパクトが前方へ進出。
そのまま突き抜け優勝…と思いきやその前に立ちはだかったのがハーツクライでした。
ディープインパクトは前を走っていたハーツクライに届かず2着。まさかの出来事に場内はしんと静まり返ってしまいました。
結局、ディープインパクトが日本国内で負けたのはこのレースだけ。翌年には有馬記念で圧巻の走りを見せリベンジを果たしました。
それだけにこのレースではハーツクライの強さが際立ちました。翌年にはドバイ遠征しドバイシーマクラシックを制するなど、その地力を発揮しました。
この二頭のライバル関係はその子供、そして孫の代まで受け継がれていくのですが、それはまた先の話。
・2013年 オルフェーヴル
最後に紹介したいのは、鮮やかな圧勝劇です。
史上7頭目の三冠馬となったオルフェーヴルは、2年連続で凱旋門賞2着となるなど日本競馬をけん引する存在でした。
その一方、阪神大賞典では暴走し競馬ファンをひやひやさせるなど、ハチャメチャな走りでみんなから愛される存在でした。
そんなオルフェーヴルの引退レースは第58回有馬記念。単勝1.6倍の1番人気に推されたオルフェーヴルは後方から競馬を進めます。
最後の直線に入った時にはすでにオルフェーヴルが先頭に。あまりの速さにうっかり抜け出してしまった、という感じでしょうか。
そのまま一気に後続を突き放したオルフェーヴルは、影をも踏ませない、どころか画面すら独り占めのままゴールイン。
8馬身もの差をつける見事な圧勝劇で有終の美を飾りました。気持ちいいー。
3.まとめ
以上、有馬記念の歴史と名レースを紹介しました。
ここに挙げたのは有馬記念のごく一部で、ここで語り切れるものではありません。
そもそも、有馬記念自体が日本競馬の歴史を形作っているものであり、日本競馬そのものと言っても過言ではありません。
今後、どのような伝説が生まれるのでしょうか。また今年も、その歴史に新たな1ページが刻まれます。
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