突然ですが、世界最高のサッカー選手と言えば誰でしょうか?
現代でいえば、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドの名前が真っ先に上がるでしょう。
昔にさかのぼれば、ディエゴ・マラドーナやペレの名前が上がるかもしれません。
しかし、マラドーナやペレといったレジェンドたちが口をそろえて挙げるのが、「アルフレッド・ディ・ステファノ」という名前なのです。
果たしてディ・ステファノとはどんな選手だったのでしょうか?
1.ディ・ステファノの伝説
まずディ・ステファノがどれほどすごい選手だったのか、エピソードを紹介していきます。
①2008年に行われたレアルマドリード史上最高の選手を選ぶインターネット投票で1位を獲得
②FIFAの会長に「過去50年で最高の選手」と評される
③マラドーナは「ディ・ステファノはペレより優れていた」と述べる
④ペレも「最高の選手はディ・ステファノ」と絶賛
⑤欧州チャンピオンズカップでレアルマドリードを前人未到の5連覇に導いた
⑥スペインに「ディ・ステファノ」の名前がついたスタジアムや通りがある
⑦引退後も監督として活躍、レアルマドリードの初代名誉会長になる
…などなど。
そして通算出場試合数は522、通算得点は驚異の378でした。
決して日本での知名度は高くありませんが、その足跡は間違いなく史上最高の選手の一人です。
2.ディ・ステファノはどんな選手だった?
そんなディ・ステファノとはどんな選手だったのでしょうか?
ディ・ステファノは1926年、イタリア系移民の子供としてアルゼンチンで生まれました。
なお祖父はフランス人ですが、国籍はアルゼンチン、コロンビア、スペインへと変わっていきました。
そういった複雑な事情のためか、FIFAワールドカップには出場していません。
そのため、これだけの偉大な選手にもかかわらずワールドカップを手にすることはかないませんでした。
プレースタイルとしては、サッカー界最初のトータルフットボーラーと呼ばれるほど万能型でした。
ポジションはフォワードでしたが、パスも守備もなんでもでき、無尽蔵のスタミナであらゆる役割を一人でこなしていたと言います。
組み立てからフィニッシュまですべてが一流だったのはもちろん、左右両足や頭も自由に使いこなし、サッカー選手に必要な能力をすべて持っていました。
なんなら、ゴールキーパーもそれなりにできたようです。
もしディステファノが現代にいたら、どんなプレーをしたのかとても興味深いところです…。
3.ディ・ステファノはどんな人だった?
そんなディ・ステファノとは、どんな人物だったのでしょうか?
ディ・ステファノは偉大な選手ではありましたが、愛される人間ではありませんでした。
例えば1959年にレアルマドリードに移籍してきたジジ選手は大活躍しましたが、ディ・ステファノから人種差別的発言を受け1年で退団してしまいました。
またディ・ステファノ自身はレアルマドリードで10シーズンプレーしましたが、あまりに尊大な態度だったことがレアル退団の一因となってしまったともいわれています。
その一方でサッカーに対してはストイックであったことは間違いなく、現役時代からお酒や散財には全く興味がなかったと言います。
監督時代にもバイクに乗っていた選手に対し「体を気遣ってほかの手段で通うべきだ」と諭したというエピソードもあります。
ちなみに、その後再度バイクに乗っていたその選手を見かけたディ・ステファノは罵声を浴びせた、というきっちり畜生エピソードも残っています…。
4.まとめ
以上、世界歴代最高とも称されるサッカー選手ディ・ステファノのご紹介でした。
伝え聞くエピソードからはそのレジェンドっぷりが十分すぎるほど伝わってくるのですが、その一方で人間性に難があったこともうかがい知れる選手でもあります。
もしかしたら現代にいたるまであまり知名度が高くないのは、そういった決して尊敬できる人間性ではなかったことが一因なのかもしれません…。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とは言いますが、決してそうとは限らないのかも…。
後世にまで語り継がれる人物になるためには、人間性も高めないといけませんね。
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