横浜DeNAベイスターズが2024年シーズン日本一に輝きました!おめでとうございます!
2024年シーズンは調子のいい時期もあったものの連敗する時期もあり、勝ったり負けたりで71勝69敗、セリーグ3位に終わりました。
ところがポストシーズンに入ると、これまでのシーズンが嘘だったかのようにチームが進化していきます。
穴だった投手も守備もカチカチになり、まるで隙のないチームに変貌してしまったのです。
その勢いは最後まで続き、阪神、巨人、そして貯金42を築き上げたソフトバンクをもなぎ倒してしまいました。
過去最大貯金差となった日本シリーズで、貯金の少ないベイスターズの方がまるで王者のような戦いぶりを見せたのです。
今回はそんなベイスターズの下剋上の歴史を、紐解いていきたいと思います。
1.下関生まれ神奈川育ち、2度の栄冠
ベイスターズの前身は1929年、山口県下関市にて創立された林兼商店(現マルハニチロ)の実業団チーム。
国体優勝も経験するなど名を上げると、1949年のプロ野球拡大に合わせて参入を表明。
1950年よりプロ野球チーム「大洋ホエールズ」として産声を上げました。
プロ野球拡大の歴史は下記の記事をご覧ください。
前述の経緯より当初は下関を本拠地としていましたが興行的には厳しく、1953年からの2年間は大阪、そして1955年からは本拠地を川崎に移しました。
以降は神奈川県での歴史が現在まで続いています。
1960年には三原監督を擁し、巨人との優勝争いを制して球団初のセリーグ優勝。
続く日本シリーズも大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)相手にすべて1点差の接戦を制し、球団初の日本一に輝きます。
1978年には現在の横浜スタジアムが開場。
合わせて本拠地も横浜へと移転し、「横浜大洋ホエールズ」へと改称します。
そして更に1993年には「横浜ベイスターズ」へと改称。
当時商業捕鯨の規制が強まっていたこともあってホエールズの名を外し、更に同時期完成した「横浜ベイブリッジ」にあやかってベイスターズと名付けられました。
こうして迎えた1998年、就任1年目の権藤監督のもと超強力マシンガン打線を形成。
更に安定した守備、投手陣も擁し、なんといっても当時の流行語大賞にも選ばれたハマの大魔神こと佐々木主浩がいました。
こうして1998年は圧倒的な打撃力と安定した投手力でセリーグ優勝。
日本シリーズでも打線が爆発し、西武を相手に4勝2敗で勝利。38年ぶり2度目の栄冠を勝ち取りました。
そんなノリノリのベイスターズを待っていたのは、漆黒の闇でした。
2.日本球界史上最暗黒時代到来
5369。この数字がどんな意味を持つか分かるでしょうか。
これは、ベイスターズが誕生してから2024年までに重ねてきた負けの数。
もちろん、12球団で最も多い数字です。そして最下位25回も最多。
そんな弱小ベイスターズを象徴するのが、2000年代の暗黒時代です。
親会社がマルハからTBSに変わった2002年から2011年にかけて、10年で8度の最下位、球界初の3年連続90敗など数々の記録を樹立。
野球の成績はもちろんひどいのですが、出てくるエピソードも
・選手が練習中サッカー遊び
・試合中選手が裏で巨人戦を見ながら煙草をスパスパ
・キャプテンが監督室で寝そべる
などなど、プロとして信じられないようなものばかり。
当然客足も遠のき、日本一の時は満員だった横浜スタジアムもご覧のあり様。
人気、実力ともに球界最低だったベイスターズは、頻繁に移転・身売りの話が出ては消え、出ては消えを繰り返していました。
ベイスターズという球団が球界から消え去るのも、時間の問題と思われました。
3.DeNAの球団改革、いざ「横浜頂戦」
そんな風前の灯火だったベイスターズの前に現れたのが、新進気鋭のIT企業「DeNA」でした。
球団名も「横浜DeNAベイスターズ」へと変更。ここから、DeNAによる球団改革が始まります。
DeNA初代監督は絶好調男こと中畑清が就任。
しかし前述のチーム状態ゆえ、まずは選手たちに挨拶することを覚えさせるという人間としての常識を叩きこむところからスタートせざるを得ませんでした。
一方のDeNAも会議室がない、パソコンもないといったベイスターズ球団のとんでもない職場環境を整備。
現場も球団運営も、まるで手探りの状況からスタートしました。
DeNAは横浜スタジアムの改修にも着手、最初に手を付けたのは「トイレ」でした。
これは2015年に就任した球界初の女性オーナー南場オーナーによる提案で、汚いイメージのあった球場のトイレをキレイにすることで女性客にも来てもらおう、という女性ならではの発想でした。
更には2016年には横浜スタジアムの運営会社をDeNAの子会社化することに成功。
これにより使用料を払う必要がなくなり、さらにはDeNAのやりたいように球場を使うことができるようになりました。
グルメやグッズの充実、席や通路の拡大、試合中イベントの増加…球界をリードする数々の改革によって、閑古鳥が鳴いていた横浜スタジアムには活気が戻ってきました。
DeNAによる改革で破竹の勢いで突き進むベイスターズでしたが、どうしても手に入らないものがありました。
それは「歓喜の瞬間」でした。
中畑監督時代には6位5位5位6位と結果こそ出せませんでしたが、選手たちは着々と力をつけ暗黒時代とは目つきががらりと変わっていました。
ラミレス監督に代わると、2016年にはいきなりシーズン3位となり球団初のクライマックスシリーズ出場。
アウェイの巨人戦では劇的な展開でファイナルステージへ勝ち上がるなど勢いを見せ始めていました。
翌2017年にも3位となり、クライマックスファーストステージでは阪神との「泥仕合」を制し再度ファイナルステージへ。
セリーグチャンピオンの広島に対しても4連勝を決め、1998年以来となる日本シリーズへ進出します。
相手は最強ソフトバンクでしたが、3連敗ののち2連勝、第6戦もあと一歩のところまで追いつめるなど勢いで日本一に手をかける戦いぶりでした。
すっかり暗黒時代を脱したベイスターズでしたが、親会社がDeNAに変わった2012年以降の最高順位は2位でセリーグ優勝には届かず。
三浦監督就任4年目となった2024年シーズンも、貯金2の3位で終わりまた来年へ…というところでした。
ところがポストシーズンに入るや否や、シーズン中ならエラーや継投で崩れていた場面でも緩いプレーがパタリとなくなっていきます。
2024年シーズンスローガンの通り、戦いの中で「横浜進化」を遂げていったのです。
ファーストステージで難なく阪神を破ると、巨人との壮絶なファイナルステージもチーム全員で踏ん張りクライマックスシリーズを制覇。
7年ぶりの日本シリーズへと駒を進めます。
相手は7年前と同じ福岡ソフトバンクホークス。
貯金42と貯金2で貯金差は40。過去最大貯金差での日本シリーズとなりました。
とはいえ、まずは下馬評通りソフトバンクが2連勝。やはり戦力差には抗えないか…そう思われました。
しかし第3戦、エースの東が先発。ここから流れが変わっていきます。
東は病み上がりにもかかわらず気迫のピッチングで初回の1失点のみに抑え完勝。
エースの好投で波に乗ったベイスターズは続け様にケイ、ジャクソンが完璧にホークス打線をシャットアウト。
更にシーズン中はエラーリーグ最多を記録してしまった守備陣も、この3試合ではエラー0と奮闘。
クライマックスシリーズで見せた守りの硬さがここにきて復活したのです。
第6戦で横浜に帰ってくると、筒香のホームランを皮切りにマシンガン打線をほうふつとさせる爆発。
そのまま一気に押し切り、26年ぶり3度目となる日本一を決めました。
暗黒時代からの復活を象徴するような、まさに史上最大の下剋上をここに完成させたのです。
4.まとめ
以上、横浜DeNAベイスターズ球団史でした。
個人的にも1998年の日本一をきっかけに野球好き、スポーツ好きになったこともあり、非常に感慨深いものがあります。
しかし、これで終わりではありません。
セントラルリーグ制覇からの日本一、という夢が残っているのです。
ファンの夢を叶えるその日まで、ハマの番長とベイスターズの航海はまだまだ続きます。
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