福岡ソフトバンクホークスが2020年日本一を果たしました!おめでとうございます!
シーズンからクライマックスシリーズ、そして日本シリーズに至るまであまりに隙のない戦いぶりでした。
スター選手をずらっと並べてというわけではなく、チームの全員が勝ち方を知っていて、各々がやるべき仕事をこなし一歩一歩勝利に向かっていく、そういった職人芸のようなものを感じます。
このままメジャーリーグに行ってもそこそこ勝てるのではないでしょうか?^^;
しかしホークスがここに至るまでには紆余曲折がありました。九州への移転、生卵事件、そして九州の度重なる災害…。今回は福岡ソフトバンクホークスのこれまでの歴史を振り返ってみたいと思います。
福岡ドームの記事と合わせてお読みください。
(本当は日本一決定の直後にこの記事を出したかったのですが、Jリーグの川崎フロンターレがタッチの差で先に優勝を決めましたのでそちらを先に出しました^^)
1.南海ホークス、福岡へ移転
福岡ソフトバンクホークスの前身となる南海ホークスは、パリーグ初期を代表する強豪でした。特に50年代から60年代にかけては3連覇を2回果たすなど20年で9度の優勝を誇りました。
この時の鶴岡監督はプロ野球監督史上最多勝(1773勝)、通算最高勝率(.609)として有名です。V9の川上監督すらしのぐという。
選手としてもプロ野球歴代本塁打記録の2位、3位である野村克也、門田博光が在籍するなど実力者がそろっていました。ただ70年代以降優勝したのはノムさんがプレイングマネージャーとして活躍した73年のみで、それ以降は低迷が続いていました。
そんなホークスに転機が訪れたのは1988年でした。南海ホークスは赤字の状態が続いていたのですが、そこに九州を核としてアジア進出を目指すダイエーが買収を持ち掛けてきたのです。
なんせ当時はバブル真っ最中。駅前の土地を買い占めていたダイエーには湯水のようにお金が入ってきていたんですね。
そんなわけで、南海ホークスは福岡ダイエーホークスと名前を変え、福岡の平和台球場を本拠地としました。
元々ライバルである西鉄ライオンズの本拠地だったので拒絶されるのではと心配されたのですが、移転から10年が経っていたので歓迎ムードとなりました。
2.生卵事件から球史に残る最強軍団へ
移転から5年後の1993年には福岡ドームが完成、本拠地とします。今でも日本一の大きさを誇り、ある意味では「でかかろう、よかろう」のバブルの象徴とも言える球場です。
まあ、すぐバブルが弾けてしまったので福岡ドームは多額の負債を抱えることになってしまうのですが…。
そしてチームの成績も伸び悩みました。福岡移転からの9年間、優勝はおろかAクラスにすら入れないというありさま。
とはいえ、南海ホークスも十分弱かったのでダイエーのせいだけではないのですが…。
1996年には、ホークスのあまりのふがいなさにファンが選手や監督を乗せたバスを取り囲み生卵を投げつける「生卵事件」が勃発します。
あまりに屈辱的な事件であり、当時の主力だった村松は引退会見で「あの時の悔しさを野球人生にぶつけた」と涙ながらに語るほどでした。
しかし当の王監督は「卵をぶつけられるような野球をやっているのは俺たちだ、あの連中に喜んでもらえるようにしよう」と発破をかけます。
これが効いたのか、98年には福岡移転後初のAクラス、その翌年にはリーグ優勝、日本一を果たします。
以降、本業の業績悪化によりダイエーからソフトバンクへ再度身売りされますが、それを挟んで9度の日本一に輝き、直近では日本シリーズ4連覇を果たしています。
まさにプロ野球史に残る最強チームになったと言えるでしょう。
ホークスの特徴として、育成選手の飛躍が挙げられます。ノーヒットノーランも記録した千賀、日本シリーズ6連続盗塁阻止の記録保持者甲斐、世界記録となる13試合連続盗塁を決めた周東など、球史に残る活躍をした選手が育成ドラフトから生まれています。
3軍も設けられ、HAWKSベースボールパーク筑後をはじめとした育成環境も12球団でナンバーワン。これらが今のホークスを形作っていることは間違いありません。
3.九州を元気に!
ホークスの成績が上向きになる一方、九州では大きな災害が頻発しています。
例えば、2016年の熊本地震。4月14日と4月16日にかけて2度の震度7の地震が熊本や大分を襲いました。死者は273人を数え、熊本城の一部が崩壊するなど甚大な被害を引き起こしました。
そこでホークスは、すぐさま「ファイト!九州」プロジェクトを立ち上げ、募金活動や被災地の小中学生の無料招待など、九州を元気にする活動に尽力してきました。
コロナのために今年は十分に行えませんでしたが、こういった活動は現在でも行われています。日本シリーズでも、袖をよく見ると「ファイト!九州」のワッペンがつけられていることにお気づきになりましたでしょうか?
更に2019年には福岡移転30周年を記念し、「WE=KYUSYU」のイベントを開催しました。
九州の5都市で試合を開催したほか、このイベントのためのユニフォームを作って配布するなど、福岡のみならず九州全体をホークスのホームとする姿勢を強く打ち出しました。
実際九州の各地を旅すると、至る所にホークスのフラッグがあったり、広告にホークスの選手が起用されていたりして、九州全体がホークスのホームタウンであることを実感させられます。
楽天が球団名に東北を入れているように、ホークスも実質「九州ソフトバンクホークス」といっても過言ではない状態です。
九州では引き続き各地で豪雨被害が頻発し今なお尾を引いていますが、被災者の心の癒しにホークスが一役買っていることは想像に難くありません。
ホークスはこれからも九州を引っ張っていくことでしょう。
4.まとめ
以上、ホークスの歴史を簡単にではありますが振り返ってみました。こうしてみると結構弱い期間も長いのですが、その反動で今まさに黄金期を迎えている最中であります。
しかもスター選手がたまたまそろったという強さではなく、育成選手を引き上げての強さですから、今後まだまだしばらくはホークスの天下が続きそうな予感です。
そして九州に移転してから30年が経ったことで、プロ野球のみならず九州全体に対する影響力も大きくなってきました。こういった形で地域密着が進んでいくというのはプロスポーツチームとしては理想的です。
今後のホークスがどうなっていくのか、引き続き目が離せません!
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