人間には、男と女の二種類があります。
スポーツにおいては体格などの違いもあり、男女で競技を分けるのが一般的です。オリンピックでも男女に別れて競技を行っています。
ところが、最近では世界的にLGBTへの理解が深まったことにより、性の多様化が進んでいます。
ことスポーツにおいても、男女の2種類だけで分けるのが難しくなってきています。
そこで今回は、スポーツにおける男女問題について考えてみることにしました。
1.スポーツにおける男女差
まず、スポーツにおける男女差がどれほどあるのか見てみましょう。
やはりスポーツの基本、陸上競技で比べてみるのが分かりやすいでしょうか。
・100m競争
男子:9秒58(2009ウサイン・ボルト)
女子:10秒49(1988フローレンス・ジョイナー)
・マラソン
男子:2時間1分9秒(2022エリウド・キプチョゲ)
女子:2時間14分4秒(2019ブリジット・コスゲイ)
・ハンマー投げ
男子:86.74m(1986ユーリ・セディフ)
女子:82.98m(2016アニタ・ヴォダルチク)
と、やはり男子の記録の方が女子を上回っています。一部の記録からはお薬のにおいを感じなくもないのですが、それは置いておくとして…。
私の知る限り、女子の記録が男子の記録を上回っているという話は聞いたことがありません。
もしかしたらすごくマイナーな競技でそういうこともあるのかもしれませんが、基本的にほぼすべてのスポーツにおいて男子の方が有利と言ってよいでしょう。
2.LGBTとスポーツ
さて、昨今では性の多様性が叫ばれる時代になっています。
よく言われるLGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのことで、これまでの男女の分け方だけでは不十分な時代になってきています。
その内容については今回は深入りはしませんが、しかしスポーツにおいては無視できない問題です。
例えば、以下のようなニュースが出ています。
この記事では、国際水泳連盟が「男性の思春期をわずかでも経験した場合は、女子競技への出場を認めない」ことを取り決めたとしています。
これにより、男性として生まれオリンピック出場を目指しているリア・トーマス選手が女子のカテゴリに出場できなくなりました。
これに対して多くの女子選手からは好意的な意見が上がっているものの、LGBTの擁護団体からは批判的な意見が上がっています。
どちらが正しい正しくないではなく、どちらも正しいというべきでしょう。
今後のスポーツ界では単なる男女だけの分け方では不十分で、LGBTを考慮した仕組みづくりが今後不可欠となってくるでしょう。
3.パラリンピックを参考にするべし!
スポーツにおける男女問題において私が提唱したいのは、「パラリンピックを参考にするべし!」ということです。
パラリンピックにおいては、それぞれの選手が持つ障害の内容、そして程度がまるでバラバラで、単純に競技を行うと障害の軽い選手が勝つ、ということになってしまいます。
そこでパラリンピックでは、障害によってカテゴリを分けたり、あるいはハンデをつけてなるべく平等に競技が行えるよう工夫されています。
今回のケースではカテゴリまで分ける必要はないかと思いますが、それぞれの状況に応じて科学的にハンデを設けるのが良いのではないでしょうか。
性差よりも状況が複雑な障害者スポーツでできるのですから、データがより多くそろっている男女のスポーツではより平等なハンデ設定ができるはずです。
誰もが公平と思えるようスポーツに取り組める環境を作れるといいですね。
4.まとめ
以上スポーツの男女問題を考えてみました。
人間の本来持っている性質自体はおそらく数百万年変わっていないと思いますが、男女以外の性を受け入れる社会の体制がここ最近で一気に求められるようになったと感じます。
社会での受け止め方自体は仕組みづくりや意識の変革で変えることができる可能性がありますが、身体的な特徴だけはどうしようもありません。
それがはっきり表れるスポーツ界にとってはなおのこと難しい問題です。
これからの時代に適合できるスポーツ界をみんなで作らなければいけないのかもしれませんね。
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