スポーツ、という言葉の語源をご存じでしょうか?
これは以前にも記事で取り上げているのですが、ラテン語のdeportareという単語で、娯楽、息抜き、生活の役に立たないものという意味があります。
しかしスポーツはその注目の高さゆえ、残念ながら政治目的で利用されたり、世界史の舞台に登場することもしばしば。
このシリーズではそれらを私の分かる範囲でご紹介していきます。未熟ゆえ不正確であったり情報の不足があるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。
今回は競技名がそのまま名前となった、サッカー戦争についてご紹介します。
1.地獄絵図のワールドカップ予選
時は1969年、中米では翌年のワールドカップに向けた北中米カリブ予選が行われていました。
普段ならメキシコが大本命となるわけですが、メキシコはこの大会で開催国となるため予選免除。すなわち、どの国にもワールドカップ出場のチャンスが訪れたのです。
迎えた準決勝は、エルサルバドルとホンジュラスの対戦となりました。準決勝はホームアウェーで2戦行い、1勝1敗ならプレーオフに持ち込まれるという仕組み。
第1戦はホンジュラスで行われましたが、アウェーとして訪れたエルサルバドル代表が宿泊するホテルでは群衆が取り巻き、爆竹、クラクションが鳴らされ、投石が絶え間なく行われました。
そんな状態でまともに試合を行えるわけもなく、ホンジュラスが1-0で勝利。すると、敗戦を苦にしたエルサルバドルの18歳の女性が自殺してしまいます。
葬儀には大統領や政府の要人、エルサルバドル代表選手が参列しテレビ中継もされるなど、にわかに国家感情が盛り上がってきたのです。
そんな緊迫した中で行われた第2戦。今度はホンジュラス代表の宿泊施設を群衆が取り囲み、自殺した女性の肖像を掲げたり、腐った卵、ネズミの死骸を投げ入れるなど地獄絵図。
更には応援に駆け付けたホンジュラスサポーターが暴行を受け2人死亡、150台の自動車が放火されるなど大変な事態となりました。
試合はエルサルバドルが勝利し、1勝1敗のタイとなりました。
メキシコシティで行われたプレーオフは厳戒態勢となり、観客制限、機動隊員の配置などが行われました。結果はエルサルバドルが勝利し、そのまま決勝も勝利、ワールドカップ初出場を決めました。
しかしこの予選が残した爪痕はあまりにも大きく…。
2.サッカー戦争勃発
予選後、ホンジュラス在住のエルサルバドル移民が襲撃を受け、エルサルバドル領内に避難する事態となりました。これを受け、両国は国交を断絶。
更にホンジュラス空軍の一機がエルサルバドルを爆撃すると、さらに2機が追撃。これはエルサルバドルによって撃墜されましたが、とうとうこれをきっかけとして戦争が勃発します。
この戦争は別名100時間戦争とも呼ばれ、7月14日から停戦まで4日を要しました。
この間に2000人が亡くなったとされたほか、エルサルバドルに引き上げてきた移民が失業者となって街にあふれかえり内戦が勃発するなど政治的に不安定な状況が12年続きました。
ワールドカップに初出場を決めた予選がきっかけで、中米で最も安定しているとされたエルサルバドルで内戦が勃発し衰退してしまったというのはなんとも皮肉なことです…。
結局国交の回復には11年の月日を要し、1981年にやっと平和条約が結ばれました。それでも、エルサルバドルでの内戦などもあり失ったものは計り知れません。
3.なぜこんなことになってしまったのか
サッカー戦争と名前がついていますが、サッカーはきっかけにすぎず、両国はそれ以前から大きな問題を抱えていました。
エルサルバドルという国はもともと国土が小さく人口密度が非常に高い国でした。しかし富裕層が土地を買い占めていたため国民の多くはまともに暮らすことができませんでした。
そこで国民の一部は6倍の国土を持ち人口も少ないホンジュラスへ移住したのです。ホンジュラスもこの移民を受け入れていましたが、時が経つにつれもめ事が表面化するようになってきました。
更にエルサルバドルが工業で発展するのに対しホンジュラスは立ち遅れたり、国境線を争ったり水面下での争いは常に続いていました。それがワールドカップ予選という形で爆発してしまった、というわけです。
平和のためのスポーツでこのような争いが生じるのは悲しいことです…。
4.まとめ
サッカー戦争とは名がついていますが、実際には直接的にサッカーの勝敗で戦争が行われたというわけではなく、もともと移民問題や経済的な軋轢があったことが直接のきっかけです。
とはいえサッカーが戦争の引き金となったことは事実です。スポーツとは本来互いを高めあうために行うものであり、このような争いの道具にしていいものではありません。
今後、世界中でこのような不毛な争いが二度と起きないことを願います…。
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