スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜

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日本野球の聖地・阪神甲子園球場の歴史【コラムその115】

本ブログでは、それぞれのスタジアム記事の前段として概要を紹介する項目を設けています。

 

しかし日本野球の聖地である阪神甲子園球場については、それだけでは不十分なのではないか、より深堀りするべきではないかと考えました。

 

そこで今回は、改めてプロ野球の球場としては日本最古の球場である甲子園の歴史を改めてまとめていきたいと思います。

1.甲子園の歴史

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甲子園ができたきっかけは、全国中等学校優勝野球大会です(現在で言う夏の甲子園)。

この大会は元々は豊中球場や鳴尾球場で行われていましたが、だんだん人気が高まると1923年の第9回では球場のキャパシティが足りなくなりとうとうパンク

グラウンドに観客がなだれ込む事態にまで発展しました。

 

そこで大会を主催していた大阪朝日新聞(現朝日新聞大阪支社)は阪神電鉄に本格的な球場の建設を提案。

阪神電鉄も乗り気だったこともあって話はとんとん拍子に進みました。

 

当時日本には参考となるような球場がなく(というか今もない)、アメリカのニューヨークジャイアンツのホームポロ・グラウンズを参考にしたと言います。

現在のタイガースの本拠地のモデルがジャイアンツの球場とはなんとも興味深い話です。

 

そんなこんなで完成したスタジアムは枝川運動場という名前になるところでしたが、完成予定の1924年が縁起のいい甲子年だったため「甲子園大運動場」と命名。

現在では甲子園は地名になるほど定着し、甲子園大学甲子園会館なんてのもあります。

 

スタジアムは名前の通り当初は野球場ではなく陸上競技場や球技場としての役割も兼ねており、左右中間が128mもある特大球場が完成。

日米野球のため訪れたベーブルースをして「too large!」と驚かせたという逸話が残っています。

 

収容人数は5万人と言われ、これは現在でも日本最大規模の野球場です(高校野球開催時は47508人)。

あまりの大きさに満員になるのに10年はかかると言われましたが、全国中等学校優勝野球大会4日目で満員を記録。

当時の野球人気の高さがうかがえます(他に娯楽もあまりなかったのでしょうが…)。

 

球場完成後も開発は進み、遊園地、動物園、水族館など数々の娯楽施設も誕生。

今では球場のボールパーク化が全国的に進んでいますが、もしかしたら甲子園はその走りだったのかもしれません。

 

年数を重ねるごとに球場も改良が進み、1929年にアルプススタンド、1936年に外野スタンドが増設されました。当時の公称収容人数は7万人だったとか(多分だいぶ盛っている)。

この頃にはいつの間にか野球専用スタジアムになり「甲子園球場」と名前が変わったようですが、いつ変わったのかははっきりしていません。

 

太平洋戦争が激化すると一時的に野球場としては使われなくなり、軍に接収され芋畑、駐車場、工場、海兵養成所、研究所などに使われていました。

銃痕が残った鉄扉も2007年まで実際に使用されるなど、甲子園は歴史の生きた証人でもあるのです。

 

戦後も米軍に接収されたためしばらくは使用できませんでしたが、1947年にやっと野球場としての使用を再開。

ただしレジャー施設は縮小されてしまったため、ボールパークとしての役割はほぼなくなってしまいました。

戦争が無かったら、甲子園は日本のボールパークのモデルになっていたかも…。

 

同年、あまりにもグラウンドが広すぎたためホームランが増えるようラッキーゾーンが設置されました。

このラッキーゾーンは1991年に撤去されるまで長年使用され、甲子園の名物となっていました。

 

球場施設も順調に更新が進みどんどん快適になっていきますが、一方で老朽化も進みドーム球場化も検討されるまでになっていました。

しかし1995年に阪神淡路大震災が発生、ドーム球場化の話も立ち消えとなりました。

 

現在では改修工事も進んだことで安全性の問題もクリアし、聖地としての趣を残しながら最新鋭の技術も取り入れた、今昔折衷ともいうべき球場となっています。

ドーム甲子園にならなくて本当に良かった。

 

2.高校野球の聖地として

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球場ができたきっかけとなった高校野球は、現在でも夏の風物詩として日本の文化にすっかり定着しています。

今では甲子園=高校全国大会の代名詞として通じるほど。

 

また球場ができた1924年には選抜高等学校野球大会(通称春の甲子園)が開始。

つまり、正確には夏の甲子園より春の甲子園の方が先に甲子園球場で行われたことになります。

現在では、まさしく甲子園あっての高校野球、高校野球あっての甲子園という関係になっています。

 

3.阪神タイガースの聖地として

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甲子園球場の存在になくてはならないのが、今や日本一の人気球団となった阪神タイガース

 

現存する12球団のうち巨人に次いで歴史が長いタイガースは、関西地区にプロ野球チームを作るべく1935年に大阪タイガースとして始動しました。

1949年のリーグ分裂時にはパリーグへの参加が決まりかけるも、ドル箱の巨人戦を確保したいとの思惑からしれっとセリーグに加盟したというなかなかずるがしこい経緯もあります。

その後のセパの動向を見ていると賢明な判断だったのかも…。

 

甲子園は本拠地として球団創設時から一貫して使われており、球団創設以来本拠地が変わっていないのは新規参入した楽天と阪神だけ。もちろんプロ野球の球場としては日本最古です。

甲子園は高校野球だけでなく、プロ野球界にとっても立派な聖地なのです。

 

ただし前述の経緯の通り高校野球の日程が最優先となるため、春先と夏場には使用できないという制約があります。

特に夏場は暑い中各地を転々としていたため一時期「死のロード」と呼ばれていたことがあります。

 

ただここ最近は快適な京セラドーム大阪を使ったり、あるいは移動も快適にできるようになったため、死のロードと呼ばれることはほとんどなくなりました。

それでも甲子園は高校球児のための球場である、というのが大原則であり、その点では大学野球が優先される神宮球場と似ていますね。

sportskansen.hatenablog.jp

 

4.まとめ

以上、阪神甲子園球場の歴史についてでした。

今回の記事は普段の概要欄に書いている内容をシングルカットしたものと思ってもらえればよいかと思います。

それだけ甲子園の歴史が長いということですね。野球と言えば、やっぱり甲子園!

 

となると、やっぱり神宮球場も書きたいなあ…。東の神宮、西の甲子園だと個人的には思っております。

 

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