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日本一記念!阪神タイガースの軌跡~日本最強の地域密着球団~【コラムその119】

阪神タイガースが2023年シーズン日本一に輝きました!おめでとうございます!

 

今シーズンの阪神はセリーグ全球団に勝ち越し、2位広島に11.5ゲーム差をつける圧勝ぶりで2005年以来のセリーグ制覇を達成。

クライマックスシリーズも盤石の試合運びで、危なげなく広島を退けました。

 

日本シリーズでは59年ぶりの関西ダービーとなるオリックスバファローズとの対戦に。

初戦は3年連続投手4冠を達成した侍ジャパンのエース山本由伸を打ち砕き、第4戦、第5戦ではどちらに転んでもおかしくない緊迫の投手戦を制し流れをつかみました。

 

第7戦ではノイジーのスリーランを皮切りに打線が爆発。38年ぶり2度目の日本一に輝きました!

今回はそんな阪神タイガースの球団史を振り返ります。

1.巨人に対抗するべく生まれた大阪球団

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タイガースが誕生したのは1935年のこと。

1934年に創立した東京野球倶楽部(現巨人)のオーナー正力松太郎はプロ野球リーグを開催すべく、大阪と名古屋に球団を置くことを考えていました。

 

そこで日本最大の球場である阪神甲子園球場、そしてそれを所有する阪神電鉄に声をかけ、これが実現したのがタイガースでした(当初は大阪タイガース)。

つまりタイガースは、生まれながらにして巨人のライバル球団であったのです。

 

そんな聖地甲子園の歴史と観戦記はこちら。

sportskansen.hatenablog.jp

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タイガースは目論見通り1リーグ時代巨人のライバルとして機能し、1937年秋、1938年春、1944年、1947年と4度の優勝に輝きました。

 

2リーグ制に移行する際には当初球団の新規参入を推進する阪急、南海らの派閥につきましたが、巨人とのライバル関係を維持するためしれっと寝返りセリーグへ。

このあたりのお話はいずれ詳しく記事にしたいと思いますが、しかし今考えるとうまいことやったものです…。

 

2.1985年球団史上唯一の「アレ」

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しかし2リーグ制以降、成績は低迷

 

というほどでもありませんが、常に巨人に次ぐ二番手の位置に定着。

1950年代は6回も2位になる徹底ぶりでした。

 

1962年、1964年には藤本監督のもと念願のセリーグ制覇を果たしますが、いずれも日本シリーズで敗れるなどここ一番での勝負弱さを発揮してしまいます。

 

そんな阪神タイガースの唯一の栄冠が1985年

この年の4月17日には今でも伝説として語り継がれるバックスクリーン三連発が生まれるなど、4月は強力な猛虎打線を武器に首位を快走


www.youtube.com

 

7月ごろには巨人、広島との三つ巴の様相となり、8月には一時期3位に転落。

しかしそこから総力戦で盛り返して首位に返り咲き、いよいよ優勝マジックが点灯します。

 

マジックを1として迎えた10月16日、神宮球場での対ヤクルト戦。5‐5のまま延長10回へ

当時は3時間20分を超えて新しいイニングに入らないというルールであり、10回を迎えた時点で次のイニングへ入らないことがほぼ決まっていました。

 

10回に登板したのは9回に引き続き抑えの中西。ここを三者凡退で切って取り、見事セリーグ制覇を果たしました。

つまり1985年のタイガースは引き分けで優勝を決めたのでした。

 

ギリギリで優勝を決めたタイガースではありましたが、そのまま勢いに乗った日本シリーズでは西武ライオンズ相手に2連勝スタート。

その後2連敗するも再度2連勝し、ついに2リーグ制以降球団史上初の日本一に輝きました。

 

しかしその後史上最強の助っ人バースが抜けるなど成績も転落、1990年代は球史に残る暗黒期を迎えてしまいました。

和田や坪井の打率だけが楽しみだけだった、そんな時代です…。

 

2003年、2005年には星野監督、そして金本知憲の加入もありセリーグ王者に返り咲くも、例の「33-4」などもあってどちらも日本シリーズは敗退。

優勝すれども2度目の日本一にはなぜか手が届かない、そんなシーズンが続いていました。

 

が、2023年ついに球団史上2回目の「アレ」を達成。

選手として、そして監督として日本一に輝いた岡田さんこそ、実は真のミスタータイガースだったのではないでしょうか。

 

3.関西と阪神タイガース

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そんな阪神は巨人の観客動員を抜き、ついに12球団1位に。

今や名実ともに日本一の人気球団と言っても過言ではないほどになっています。

 

その熱狂ぶりは論文でも考察されるほど。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ksr/5/0/5_KJ00008433923/_pdf/-char/ja

 

なぜそんなことになっているのか。その理由は関西に行ってみればすぐさま分かります。

テレビではスポーツコメンテーターはみな阪神OBだし、スポーツコーナーは9割がた阪神タイガース

しかもほぼすべてのテレビ局が毎日毎日そんな状態なのです。

 

もちろん今の時代はテレビがすべてではありませんが、テレビをつければいつでも阪神が映っているような状況というのは、人格や社会の形成に大きな影響を及ぼすことは間違いありません。

必然、家庭での会話は阪神タイガースに終始し、学校でも、会社でも、居酒屋でも、阪神タイガースの会話が繰り返されることになります。

 

こうして関西人はいつしかみな阪神ファンとなり、いつの間にか骨の髄まで阪神タイガースに侵食されてしまうのです。

それに嫌気がさした人が巨人ファンになったり、オリックスファンになったりします。

 

ダウンタウンの浜田さんはかつて巨人ファンであったし、大の阪神ファンである渡辺謙さんの娘のさんも嫌気がさしたのか知りませんが巨人ファンになりました。

 

今や阪神タイガースとは、良くも悪くも関西圏に住む人全員に何らかの影響を及ぼす、名実ともに日本一の強大なチームとなりました。

関西を代表する文化にまで成長した、といっても全く過言ではありません。阪神のことが分かれば、関西のことも分かるのです。

 

この感じだったら、日本が滅亡したときに最後まで残っている球団はおそらく阪神だろうなと思います。

広島あたりがいいライバルかな。

 

4.まとめ

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以上、阪神タイガースの歴史と文化について紹介しました。

今や阪神タイガースは関西文化の象徴ともいえる存在であり、単なるいちプロ野球チームでは収まらないほどの影響力を及ぼす球団となりました。

 

その中でつかんだ2度目の日本一は、ますます多くのファンを獲得する大きなきっかけとなるでしょう。

これ以上増えてももう球場には入りきらないのですが…。

 

来年開場100周年を迎える甲子園とともに、阪神タイガースがどのような姿を見せていくのか。

それは球界や関西のみならず、日本社会全体にとっても注目すべきことかもしれません。

 

 

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