注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています
今回は釜石シーウェイブスの試合観戦のために鵜住居復興スタジアムを訪れた時の遠征記を紹介します。
試合観戦の模様はこちらをどうぞ!
三陸の海の幸、震災の爪痕、そして世界遺産平泉など、短いながらも非常に濃ゆい旅となりました。
岩手は本当に奥深い場所です。
簡単な旅程は下記のとおりです。
それではごゆっくりどうぞ!
1日目・釜石観光+グルメ
出発は始発、起床は4時前。釜石に行くのは大変なのです…。
でも意外と目はギンギンです。楽しみにしてたからね。
最近の新幹線は男性用女性用、そして男女兼用のトイレの3種類があるんですね。
わざわざ席たったのにトイレが使われてたりすると悲しくなるので、充実しているのはうれしい。
東北新幹線は一路北へと駆け抜けていきます。
実は日本最速の時速320キロを出せるのは東北新幹線だけなのですよ。
あっという間に乗換駅の新花巻に到着。水沢江刺駅と並び、全国初の地元が全額出資した新幹線の請願駅です。
それだけ地元住人の要望が大きかった駅なのです。
新幹線ホームからは釜石線のホームが見えます。乗車時間は長いものの、これのおかげで釜石へは東京からでも乗り換え1回で済みます。
これがなかったらどれほど大変だったか…。
花巻東高校など全国屈指の強豪校を抱える花巻は多くのプロ野球選手を輩出しています。
目玉はなんと言ってもメジャーリーグとWBCでMVPに輝いた大谷翔平選手。岩手が世界に誇るスーパースターです。
他にも菊池雄星投手や市内にある富士大学出身の山川穂高選手、外崎修汰選手、多和田真三郎投手などタイトルホルダーがずらり。
花巻は宮沢賢治生誕の地ということで、新花巻駅の天井は宮沢賢治の幻想的な世界観を表現しているということです。
岩手ってなんだか心躍る場所なのかも。
こちらが駅舎。お土産屋さんなどもあります。
釜石線のホームに向かう地下道。昭和のかほり。
こちらが釜石線のホーム。無人駅で単線、新幹線駅の乗り換えとしてはなかなかの田舎感。
でも普段こういう乗り換えをしないのでちょっと楽しい。
列車がやってきました。もちろん電車ではなくディーゼル車です。
でも3両編成は意外と長い。
快速はまゆりの特徴がこちらの指定席。もうほぼ特急みたいなものですね。
新幹線と比べると乗り心地はアレですが、それなりには快適に過ごせます。
岩手軽便鉄道、というのが宮沢賢治の銀河鉄道のモチーフになっているらしい。岩手軽便鉄道というのは今の釜石線とだいたい同じものです。
そのため釜石線には銀河ドリームラインの愛称が付けられており、駅にはそれぞれ宮沢賢治もよく用いていたエスペラント語の名前がついています。
エスペラント語というのは世界のだれもが理解しあえるよう、意思疎通を図るために人工的に作られた言語です。
実際は英語が世界共通語となってしまってはいますが、一応エスペラント語を広めようという運動は世界各地で行われています。もちろん日本でも。
釜石線からは山や川、街の風景などを眺めることができます。これが銀河鉄道の原型になったと考えると感慨深い。
そして途中スマホの電波がちょくちょく届かなくなりました。田舎だぁ…。
なんやかんやあって釜石に到着。家を出てから7時間くらいかかりました…。
これまでの旅でもトップクラスに遠く感じたかも。
反対側のホームに止まっているのは、あまちゃんでも話題となった三陸鉄道。
開業してから10年黒字を出し、全国への第三セクターの拡大に大きな影響を与えた鉄道です。
車体に描かれるのは3.11の文字。三陸鉄道は震災、台風といった大きな災害を乗り越え、2020年に全線復旧を果たしました。
震災後、クウェート国から支援を受けたようです。
世界のどこかで銀座線かなんか車両が走っていると聞いたことはありますが、海外からの支援で車両が導入されるのは珍しいかも。
釜石駅のホームからは工場の煙がもくもくしているのが見えます。さすが鉄の街釜石、こんな駅前に製鉄工場があるんですね。
ちなみに釜石の鉄道も元々鉄を運ぶために作られたもので、日本では新橋横浜間、京都神戸間に次ぐ3番目の鉄道にあたります。
釜石駅の駅舎。もちろん自動改札はありません。
でも電光掲示板などもあり施設は結構充実しています。
釜石駅を外から。JRと三陸鉄道でホームは共有していますが、入り口は別々になっています。
元々三陸鉄道はJRの路線だったのを移管したという歴史もあります。
駅前にある大きなモニュメントは、2019年ラグビーワールドカップの開催を記念したもの。
今回の旅の目的もラグビーです。
駅前にあるのが日本製鉄の工場。鉄と魚とラグビーの街、と大きく書いてあります。
駅を出てすぐのところにあるのがふたつの建物。お土産屋さん、飲食店など観光客がとりあえず入るのに最適なお店が並んでいます。
空には魚も泳いでます。
まずは腹ごしらえから!
三陸に来たらまず海鮮を食べないと!
うにもいくらも粒の弾力が強くてびっくりしました。いいものはこんなに食感がしっかりしてるんだなあ。
なにせ三陸沖は世界三大漁場の一つにも数えられているそうです。
続いて釜石市郷土資料館に来ました。釜石の歴史を様々な角度から学ぶことができます。
資料のほとんどは市民からの寄贈ということで、まさしく市民が作り上げた資料館です。
その一角には震災に関するコーナーもあります。全国各地の有名人のサインが集まっていますが、あの当時は日本中が混乱に陥っていましたからね…。
ドカベンの作者・故水島新司氏のサインがあるのも今となっては胸に来ます…。
資料館の横には、SLに使う転車台があります。
釜石線にはSL銀河と呼ばれるSLが運行していましたが、客車の老朽化に伴い2023年に運行を終了しました。
少しは復興に寄与できたのでしょうか…?
更にその近くには岩手のローカルスーパーマイヤがあります。
最近は旅行の計画を立てる時に、まずはローカルスーパーを探すところから始まるようになりました。
駅前には復興の鐘があります。いつまでもこの鐘の音が釜石に響き渡りますように…。
その近くには大島高任の像があります。
ここ釜石は日本における近代製鉄発祥の地であり、それをけん引したのが大島高任なのです。
やっぱり釜石は鉄の街なのです。
釜石駅から少し歩くと川を横切ります。海が近いはずですが、山奥のような光景です。
ここには津波避難場所の掲示があります。この街にいる以上、常に危険とは隣り合わせです。
そしてここからも煙がもくもくしているのが見えます。
街中に向かって歩いて行きます。
駅と中心街がずれているのは地方ではよくあること。
道中、上から街を見られそうな公園を見つけたので登ってみます。
こちらには避難場所だけでなく、生活場所の指示までも書かれています。
それだけ災害に対してリアリティがあるということですね。
こちらが上から見た釜石の眺めです。
YouTubeには3.11当日の釜石の映像などもありますが、いくら現地に来ても動画を見ようともまるで実感がわきません。
それだけあの光景は私にとってあまりに非現実的なものでした。
坂を降りるとミッフィーカフェやキッチンカーがありにぎわっていました。
特に若い人たちはここに集まっているようです。
本当は夕飯で食べる予定でしたが、ちょうど目の前に来たので食べてしまうことにしました。
それがこちらの新華園です。
このすがすがしいまでにシンプルなラーメンが名物釜石ラーメンです。
釜石でラーメンというとこれのことを指すようです。
釜石の製鉄所で働く人や漁師のために作られ始めたラーメンで、せっかちな人たちのためにゆで時間が短くなるよう超極細麺が使われているのが大きな特徴。
そこに魚介の香りのする透明スープが絡まって、すいすい食べられちゃいます。
また一つ釜石の文化を学ぶことができました。
お店を出てふと見上げると、建物に青い線が引いてありました。これは津波の際に浸水した水の高さを表すものです。
街中の至る所にこういった青い線が引かれており、どこが危険であるかが一目でわかるようになっています。
もう、高すぎて全く想像がつきません。人知を超えています。
こちらが釜石市役所。ここにも青い線があります。これを見ると、市役所はギリギリ浸水したかしていないかぐらいの高さでしょうか。
とはいえ、入り口まで水が来ていたらとてもまともには動けなかったと思います。
海に向かって坂を下りていきます。ここにも青い線があります。
こちらが釜石の港。非常に大きな船が停泊しています。
海は釜石の命の源であり、またすべてを奪い去っていきました。
ここにも飲食店が集まった施設があります。震災後新しく作られたようで、キレイな建物です。
こちらでジェラートをいただきました。抹茶、リンゴのキャラメリゼ、そしてなんと大吟醸の3種類。
どれも非常においしかったです。大吟醸は甘酒みたいなお味でした。
そこから海沿いに歩いて行くと、グリーンベルトと呼ばれる防波堤のようなものがあります。
大きな地震が起きた時はこの上を歩いて行って高台に逃げていくようです。
これが一人でも多くの命を救う…いや、未来永劫役に立たないのが一番いいのかな。
ホテルに戻って本日はお休み。早起きして疲れましたしね。
ホテルからの眺めです。割と悪くないですね。
なんと、ホテルに泊まってラグビーのチケットを見せるだけで日本酒やビールなどのお土産をいただくことができました。
なんて大盤振る舞いなんでしょう。
スーパーで買った品々。晩御飯はスーパーのお寿司!
それにカキフライ、三陸わかめのおにぎり、おまんじゅう、どら焼き、おはぎ、カモメの玉子、新華園のカップラーメンなどなど。
部屋から一歩も出なくても大満足の夜を過ごせました。
そういや、新花巻でバター餅を買っていました。
バター餅って秋田のイメージでしたけど、岩手にもあるんですね。
2日目・釜石で試合観戦+岩手グルメ
岩手の朝はやっぱり牛乳とヨーグルト。この岩泉ヨーグルト毎回買っている気がする。
北海道に次いで面積の大きい岩手県ですが、食に関しても北海道に次ぐくらい豊富だと思います。
今日は晴れ渡る青空!スタジアムでラグビー観戦するのには最高の天気です。
こちらが三陸鉄道の釜石駅。食券のような切符販売機があります。
通路もJR釜石駅と共有ですが、時間によってうまいこと使い分けているようです。
あまちゃんで主演したのんさんは今や三陸のイメージキャラクターみたいになっています。
一時期はいろいろ事務所ともめたみたいですが、それでもこうやって第一線に返り咲いてきたのは本人の努力と才能があるからにほかなりません。
三陸の人と同様、不屈の人だなと思います。
そんな三陸鉄道に乗って鵜住居へ向かいます。
こちらが鵜住居駅です。
駅前にはうのすまい・トモスという施設があります。震災の記憶を継承するとともに、地域の活性化を目的としたものです。
鵜住居は釜石の中でも特に被害の大きかった地区です。
こちらの祈りのパークには犠牲となった方々の名前、そして当時の浸水高さを示すモニュメントがあります。
奥の黒い壁の頂点がそれです。軽く7~8mはあるかと思います。
こちらには震災当時の混乱や生存者の苦悩など、非常に生々しい現場の声が展示されています。
テレビのニュースでは決して伝わらない被災地の現実が胸に突き刺さります。
釜石に古くから伝わる、地震の大事な教訓です。きれいごとだけでは非常時には生きていけないのです。
現場に足を運べば、学校で習った災害対策の基本である「おさない、かけない、しゃべらない」が通用するとは到底思えなくなります。
うのすまい・トモスではこの日、グルメフェスのようなイベントをやっていました。
こういうイベントで活気が生まれるといいですね。
海の近くには大きな水門があります。
自然はいつも人間の想像を超えてきますからどれほどの効果があるかはわかりませんが、時間稼ぎくらいにはなるのかもしれません。
いずれにせよこういったものを信用しすぎないことは大事でしょう。
釜石にも防波堤があったのですが、それがあるからと市民が油断してしまったのも被害が拡大した一因になってしまったということです。
津波は防波堤を破壊して街を襲いました。
水門を過ぎると、三陸の美しい海に出会うことができます。
本当に素晴らしい風景です。しかし、人間には制御できません。
なにやら石が落下しているのを見つけました。地震の影響か、あるいはたまたま落ちてきたのか分かりませんが…。
人間、いつ何が起こるか分からないものです。
釜石鵜住居復興スタジアムに来ました。本日の目的地です。
日本で唯一ラグビーワールドカップのために新設されたスタジアムです。
久しぶりに心揺さぶられる試合を観戦することができました。最高の一日でした。
鵜住居駅の近くにポケモンマンホールがあるのを発見しました。
岩手は「いわ」ポケモンが割り当てられているようです。
ここ釜石はココドラでした。結構ポケモンに詳しくないと知らないかも…。
でもよく見たら頭はラグビーボールの形しているし、はがねポケモンでもあるし、確かに言われてみれば釜石にぴったりかも。
ちなみに私はポケモンのほとんど全部の作品やってるので大体知ってます。
三陸鉄道で釜石に戻ります。
釜石駅の近くで「鉄と魚とラグビー」の像を見つけました。釜石旅の最後を飾るのにぴったりです。
そんなこんなで釜石線で花巻に戻ります。
各駅停車で2時間ほどかかります。…疲れる。
釜石線の終点、花巻駅にやってきました。意外と駅前に何にもない…。
駅のすぐ隣にでっかいスポーツショップがありました。花巻はそれだけスポーツが盛んということでしょうか?
それはいいことだ。
ちらりと横を見やると、大谷やら楽天イーグルスやらセンバツやらのポスターが貼ってありました。
今や岩手の野球熱は日本一と言ってもいいかもしれません。なにせ大谷翔平の出身地ですから。
わんこそばのお店(といっても普通の天そばもある)でも食べようかと思いましたが、日曜日で今日はやってませんでした。
まあどうしても食べたかったわけでもなかったからいいのですが。
しかし日曜とはいえ、なかなかの閑散具合…。ちょっと寂しい。
やたら自転車置き場がきれいだったので撮ってみました。無駄に幻想的。
そして花巻に来たもう一つの目的はこちら、宮沢賢治の壁画ライトアップ!
これ、普通の道路沿いにあるのですが、思ったよりもすごくてびっくりしました。これは一見の価値ありです。
本当に銀河鉄道の世界に来たようです。
こちらにもポケモンマンホールがありました。
コスモッグは見た目はかわいいですが、進化すると伝説のポケモンになるとてつもないエネルギーを秘めています。
その名の通り星の子みたいな感じですね。
後ろのレックウザは銀河鉄道をイメージしたものでしょうか。こうしてみるといろいろとポケモンをうまく使って表現しているのが分かります。
花巻駅の待合室もなんかだいぶ宮沢賢治に影響されてる感じです。
今日の目的地水沢駅に到着しました。
こちらは大谷翔平の出身地です。水沢の、岩手の、そして日本の誇りです。
なにせ世界一に上り詰め、そして野球の歴史を変えた選手なのですから。
遅くなったので、駅前にある定食屋に駆け込みます。お腹空いた…。
ミックスフライ定食にしました。軽いサクサクの衣がアジやカキにベストマッチ、いくらでも食べられそうです。めちゃくちゃ美味しかった。
近所にあったら毎日通いたい。
こちらのアーケード街もなかなかひっそりしています。
ただ飲み屋が多いためか、営業しているお店もちらほら見られます。のん兵衛にはなかなかいい街かも。
夜遅くなったので、釜石で買ってきたお水を飲んでさっさと寝ました。
このお水は釜石のお酒造りなんかにも使われているようです。
3日目・世界遺産平泉観光+岩手グルメ
翌日の水沢もいい天気でした。
ホテルの朝食では前沢牛のカレー、奥州名物のはっとやそばなどを食べることができとても満足でした。
朝食がおいしいと一日の元気が違います。
おそらく奥州市役所と思われる建物にも大谷の横断幕が出ています。今や日本一輝いている日本人と言ってもいいでしょうから。
バスに乗って目的地に向かいます。
水沢競馬場に来ました。昭和の空気残る良い競馬場でした。
水沢駅は貨物駅も兼ねているようで、貨物のコンテナも大量に並んでいました。
これを見るとおそらく線路を高架化するのは難しいでしょうね。
奥羽山脈の山並みがここからはっきり見えます。海と山、どちらもたくさんあるのが岩手県。
駅裏の明治安田生命の建物には、いわてグルージャ盛岡のマスコットキヅールがいました。
キヅールにまた会いに行きたいなあ。
では水沢を出発します。
こちらが水沢駅。ここにも自動改札はありません。
でもコンビニがあるだけだいぶ栄えていると言えるかもしれません。
さてさて、平泉に来ました。予定にはなかったのですが、途中で降りられることに気付き、なんとか時間を作って行ってみることにしました。
こちらが駅から見た平泉です。何の変哲もない地方都市に見えますが…。
駅舎はこれまでの中でもトップクラスにキレイでオシャレ、立派な観光地化が進んでいます。
そう、ここ平泉は東北地方で初めて世界遺産に登録された都市。
かつては東北随一の栄華を誇った場所なのです。
駅前からの景色も間違いなく観光地のそれです。
ただ、意外とお土産屋さんが多いわけではなさそうでした。世界遺産とはいっても地方都市に変わりはないんですね。
まずは、世界遺産平泉の構成資産の一つ、観自在王院跡から!
…って、なんもない!
そう、世界遺産平泉の大きな特徴は、「何もない」ことなのです。
世界遺産平泉の中核をなす資産の一つ、毛越寺(もうつうじ)に来ました。
全盛期には中尊寺をしのぎ、平泉の中心ともいえるほど栄えていたとのことです。
まずは入り口横の宝物殿から。毛越寺の歴史などを学ぶことができます。
私見ですが、ここできっちり勉強をしておかないと毛越寺は何も面白くないと感じました。
入り口すぐのところにあるのが松尾芭蕉の有名な句である
「夏草や 兵どものが 夢の跡」の碑。
これはまさしく平泉のことを詠んだ句で、栄華を誇った奥州藤原氏が芭蕉の頃には跡形もなく消え去ってしまっていた儚さを詠んだものです。
奥州藤原氏が平泉で栄えたのが1100年代、芭蕉が平泉を訪れたのが1600年代くらいと言われています。500年も経ったらそりゃ…ね。
こちらには大門があった…と言われています。が、ご覧の通りなにもありません。
毛越寺のメインは庭園の中にある池です。そう、寺の建物はもう何も残っていないのです。
こちらの築山は偶然できたものではなく、どうやら人の手で作られたものです。
1100年代に栄えた毛越寺の数少ない遺構…ということでしょうか。
様々な建物があった、と書かれてはいますが、残念ながら何もありません。
なんでこんなに何にもないのに世界遺産なんだ?と思ってしまいますが…?
この水の跡、これこそが毛越寺を世界遺産たらしめる要因になっているようです。
毛越寺には奥州藤原氏当時の建物は残っていませんが、こういった遺構が1100年代から残っているということなのです。
奥州藤原氏も900年前にこの水音を聞いていたんだな…などと想像するのが毛越寺を楽しむ一番のコツです。
しかし相変わらず建物は何もありません。想像するのがコツです。
池の形などはきっと当時からほとんど変わっていないのでしょう。変わっていないと思いたい。
そんなこんなで毛越寺を出ました。平泉を訪れる際は、頑張って想像力を膨らませましょう。
一応建物はあるっぽいですが、おそらく復元か何かでしょう。当時の建物は残っていないはずです。
そして平泉に来たら絶対にここに寄りましょう。
こちらは平泉文化遺産センターと言って、平泉がなぜ世界遺産になるほどなのかをパネルで分かりやすく解説している施設です。
入場は無料です。
つまり何もない世界遺産平泉を楽しむには、ここで勉強して想像のタネを頭に植え付けないといけないのです。
順番的にはまずここにきてから各所を回る方がいいかもしれませんね。
詳しくは実際に展示を読んでいただいた方がいいかと思いますが、めちゃくちゃざっくりした私の理解では
①奥州を支配した藤原氏であったが、戦乱のために何もかもを失ってしまった
②そこで平泉をこの世の極楽浄土とするべく、独特の平泉文化を作り上げ平和な世界を目指した
③なんやかんやあって廃れてしまったものの、平泉は戦火を逃れたため遺構は現代まで残った
といった感じでした。
またみちのくという言葉にはもともと「道の奥」という意味があり、都から蔑視を受けていたようですが、そういった脅威から守るためにも平泉を極楽浄土にする必要があった、とのことでした。
とにもかくにも、平泉のキーワードは「極楽浄土を目指して作った」というところのようです。
本当に極楽浄土を作り上げることができたかどうかは疑問の残るところではありますが、しかし平泉にはその時代に作られた無形文化が現代まで継承されています。
平安時代から続く舞なんかも行われているとか。
戦争でいろいろなものを失った挙句に平和を作ろうとした奥州藤原氏の信念は、現代人も見習うところがあるのかもしれません。
観光地によくある黒い郵便局を見つけました。
かつては東北の拠点だった平泉ですが、今は普通の地方の田舎町という感じです。
鎌倉とか、伊勢とかのように観光客向けのお店がずらっと並んでいる感じでもなさそうですね。
平泉駅に戻ってきました。わずか1時間半の散歩でしたが、めちゃくちゃ濃ゆい時間を過ごせました。
やっぱり世界遺産なんだなと感じます。
一ノ関から新幹線に乗って帰ります。やたらピカチュウがいっぱいいます。
ここ一ノ関から気仙沼までポケモントレインが走っているようです。
本当にいたるところにピカチュウがいます。
「東北の米原」と言えるほど駅前には何もない一ノ関ですが、ピカチュウがいるのは強力な強みです。
それでは東京へ帰ります。
帰りの夕飯は岩手炙り焼き和牛弁当。
タレと、牛肉と、ご飯のバランスが絶妙で、冷めても美味しくなるよう計算されているようです。
この弁当マジでうまい。
三陸のお土産と言えば海宝漬。
釜石の中村家が販売しているウニやアワビ、イクラなどが入ったもので、ご飯に乗っけるだけで簡単に海鮮丼が作れちゃいます。
岩手県の主要な駅にはどこにでも置いてあるのでぜひどうぞ。めちゃくちゃ美味しいですよ。
まとめ
以上、岩手の海と世界遺産平泉を巡る旅でした。
たったの3日間でしかも移動や試合観戦にかなりの時間をとられていたはずなのですが、ものすごい濃い時を過ごすことができました。
岩手の観光地としてのポテンシャルには毎度驚かされます。何せ盛岡には行っていないのにこれだけ楽しめるのですから…。
またきっと盛岡にも行く機会がありそうなので、ぜひもっともっと岩手のいい場所を訪れてみたいところです。
小岩井農場とかも行ってみたいなあ。
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