注:本記事は新型コロナウイルス感染拡大後の情報を元にしています
【概要】
釜石鵜住居復興スタジアムは、2018年開業、岩手県釜石市にある釜石シーウェイブスRFCのホームスタジアム。
ラグビーの街、釜石。
その起源は、1959年に創設された富士製鐵釜石製鐵所のラグビーチームにさかのぼる。
1970年には合併により、新日本製鐵釜石ラグビー部と名前を変える。ここから、「北の鉄人」の快進撃が始まる。
1970年にさっそく全国社会人ラグビーフットボール大会で初優勝を果たすと、1976年には早稲田大学を破り日本ラグビーフットボール選手権大会初優勝(当時は大学と社会人で決勝を行っていた)。
更に1978年から1984年にかけては、両大会で前人未到の7連覇。現在までに獲得したタイトルは26を数えるなど、日本ラグビー界に釜石の名を轟かせた。
しかしそれ以降はチームの成績が低迷。さらに1989年には製鉄所の高炉が廃止されるなど、新日鉄も徐々に釜石から手を引いていく。
そしてとうとう2000年には入れ替え戦に敗れ下部リーグへと降格、それに合わせて新日鉄もラグビーから撤退することになる。
そんなチームの危機に手を差し伸べたのが、かつて「北の鉄人」に元気をもらい、勇気づけられた釜石市民であった。
名前を新たに「釜石シーウェイブスRFC」へと変え、日本初となる地域密着型のラグビーチームとなったのだ。
これはまさにJリーグの掲げている地域密着型のクラブの形であるが、その完成形の一つが釜石のラグビーチームであるとはなんとも興味深い話である。
↓地域密着について解説した記事はこちら。
こうして再出発を果たした釜石シーウェイブスであったが、2011年3月11日、釜石を激甚災害が襲うことになる。東日本大震災である。
死者・行方不明者2万2312人を数える日本有史史上最大規模の大災害は釜石も例外ではなく、元釜石ラグビー協会会長の佐野正文氏も犠牲になるなど甚大な被害をもたらした。
その一方で希望の光もあった。釜石シーウェイブスもその一つ。
シーウェイブスに所属していたオーストラリア代表のスコットファーディー選手は、母国から帰国要請を受けるもこれを固辞。
釜石に残ってボランティア活動を続けるなど、釜石の復興へ向けてチーム全体でスクラムを組んだ。
そんな中、2014年には津波で校舎が全壊した釜石市立鵜住居小学校と釜石市立釜石東中学校の跡地に、釜石のシンボルであるラグビーのスタジアムを作る計画が持ち上がった。
合わせて、2019年に日本で行われるラグビーワールドカップ開催都市へ立候補することを釜石市野田市長が表明。
急ピッチで建設は進み、2018年には満を持してスタジアムが完成。釜石シーウェイブスとヤマハ発動機ジュビロの交流戦をもって産声を上げた。
2019年9月25日には念願のラグビーワールドカップも開催。行われたフィジー対ウルグアイの試合には1万4025人もの観衆が詰めかけた。
残念ながらナミビア対カナダの試合は台風19号の影響で中止となってしまったが、カナダ選手がボランティア活動に参加するなどラグビーの力で釜石は再び立ち上がった。
今回は、釜石の人たちの血と、汗と、涙と、そしてラグビーへの思いがたくさん詰まった、釜石鵜住居復興スタジアムを訪れた。
【アクセス】
最寄まで★★☆☆☆
最寄は三陸鉄道リアス線鵜住居駅。ご覧の通り無人駅。
そもそも釜石駅までがとんでもなく遠く(新幹線が止まる新花巻駅から快速でもおよそ1時間半)、さらに釜石からも本数の少ない三陸鉄道で2駅と遠征するには非常に厳しい状況である。
ただし試合に合わせて臨時列車も運行してくれるし、場合によっては釜石駅からの無料シャトルバスもあるので、釜石駅までどうにかたどり着ければそれほど心配はない。
とはいっても東京からの日帰りは非常に厳しい。釜石で一泊二泊でもして三陸の海の幸でも楽しんでいきましょうや。
三陸の海の幸も存分に楽しんだ岩手旅の記録はこちら。
鵜住居駅にはトライステーションの別名も付けられている。
そしてホームからもスタジアムがちらっと見える。
鵜住居駅前にはうのすまい・トモスと呼ばれる施設がある。
東日本大震災の記憶を伝えるとともに、人々の憩いの場、そして釜石活性の拠点となることを目的としている。
お土産店も常設されているほか、この日はキッチンカーも立ち並ぶなど賑わいを見せていた。
もちろん中には東日本大震災に関する展示もある。
この隣にあった鵜住居地区防災センターには震災当日多くの人が避難してきたが、そこに津波が押し寄せ多くの犠牲者を生むこととなった。
この展示にはそういった地震当日の惨劇、避難所での混乱の日々、生き残った方々の苦悩など、経験者でなければ語れない非常に生々しい内容が含まれている。
釜石の奇跡と呼ばれた子供たちですら、「奇跡」の名を背負うことによる苦しみと戦ったのだという。部外者は軽々しく奇跡などと喜ぶべきではないのだ。
こういった展示内容を読んでいる方の中には涙を流されている方もいた。私も泣きそうになった。
でもいかに受け入れがたくてもこれが釜石の現実なのだ。
その隣の釜石祈りのパークには犠牲となった方々の名前の他、当時の津波の高さを示すモニュメントが設置されている。
すなわち、奥の黒壁の頂点が浸水高さである。もはや筆舌に尽くしがたい。
最寄から★★★★☆
釜石駅からは徒歩10分弱。スタジアムまでの案内が少なめなので意外と分かりにくい。
駅を降りたら右側に曲がって線路沿いにひたすら進み、線路をくぐってまっすぐ歩く。
そうするとこんな感じでスタジアムが見えてくる。意外と山に囲まれているが、リアス式海岸は海に近くても結構山が多いんだな。
【観戦環境】★★★★★
日本でも数少ないラグビー専用スタジアムであり、見やすさはもちろんバツグン。
スタジアム自体も大きくないので、どの席に座っても大きな問題はない。
こちらはメインスタンドからの眺め。目の前に選手が来るとぶつかり合う迫力、華麗なパス回し、俊敏なステップなどラグビーの魅力を存分に楽しむことができる。
おそらく娯楽がそれほど多くはないであろう釜石で、これだけ極上のスポーツ観戦が気軽にできるならそりゃハマっちゃうだろう。
ちなみにチケットは私が行った時にはメインスタンド中央部の自由席券(指定席だったかも)、そしてそれ以外のどこでも座れる自由席券の2種類があった。私は後者。
いずれにせよ早めに来れば席は空いているので、いろいろ座って見ながら自分の好きな場所を探すのがよさそう。
こちらがメインスタンド全景。写真では分かりづらいが屋根の下あたりにリボンビジョンもあるなど結構ちゃんとしたつくりになっている。
ちなみに当初はスタジアム内に陸上競技用トラックを含む計画もあったようだが、「最大限コンパクトなスタジアム」をコンセプトにしたためこれは改められている。
おかげでラグビーの街釜石にふさわしい、日本に誇るラグビー専用スタジアムが出来上がった。よかったあ…。
また屋根は「震災からの大きな羽ばたきや新たな船出」を表す鳥の羽や船の帆をイメージしたデザインになっている…らしい。ちょっと伝わりづらいかも。
その屋根が大きくないのがこのスタジアムの数少ない欠点ではあるが、座席やスタンドなど随所に木材が使われているのもまた大きな特徴。
この木は2017年に釜石で発生した山火事で燃え残ったものが使われているらしい。
そういや釜石を歩いているとやたら山火事注意の注意書きを見つけたが、つまりはそういうことだったのか…。
釜石に生きるのは大変だ。
トイレにも木材が使われており、そこにも説明書きがある。
また座席の一部には旧国立競技場、東京ドームで使われていたものが設置されており、「絆シート」の名がついている。
更にスタジアムの奥には水門が見えるが、その奥には三陸の美しい海とリアス式海岸が広がっている。
水門が無ければスタジアムからの眺望はより良いだろう。しかし命には代えられない。
こちらがバックスタンドからの眺め。屋根の有無などをのぞけば、メインスタンドと見やすさに大差はない。もちろん座席には木材が使われている。
いいスタジアムだなあ。国立競技場も木を使うならこれくらいしないと…。
少し見えにくいが、バックスタンドには「KAMAISHI UNOSUMAI」の文字が刻まれている。
固定ビジョンはなく、ビジョンを載せたトラックが試合のたびに来るらしい。渋谷とかで走ってるうるさいトラックの方がデカいかも。
それでも、ちゃんと試合演出などをやってくれるのはうれしい。
ワールドカップ時は横側にもスタンドがあったようだが現在は撤去されている。
おかげで、こちらからはグラウンドレベルでスタジアムを眺められる(おそらく立ち見は禁止?)。
これはこれで楽しい。
【雰囲気】★★★★★
試合前には子供たちが釜石の伝統である虎舞で選手たちをお出迎え。スタジアムは温かい雰囲気に包まれた。
いい意味でこじんまりしており、とても雰囲気が優しくアットホーム。
釜石ラグビーの名物と言えばスタンドで大量の大漁旗が翻る光景。
新日鉄釜石の黄金期にはバスで東京まで大勢駆け付け、大漁旗で応援するのがお決まりだったという。ここ釜石ではその伝統が今も受け継がれている。
個人的には小さい大漁旗をグッズとして販売したら、スタジアム中で旗がひらひらして楽しそうだなって思う。
また海の男なのだろうか、よく声の通るおじいさんがチームを応援している光景も印象的だった。
メガホンも使わずスタジアムに響き渡るその声量からして、ただものではないことを予感させた。
今回の遠征を通じて、釜石の人は話下手ではあるけれど非常に心優しく、そして一本筋が通った強さを持っている人が多いと感じた。
決してお金を使った派手な演出はないけれど、スタジアムが一体となってチームを応援する様はまさしくリーグワンの目指す市民球団の完成形の一つだと感じた。
地域に愛されるチームとは、釜石シーウェイブスのことを指すのだ。
なにより海の恵みを享受し、そして恐ろしさに直面してきた釜石の人たちは、試合の勝ち負け以上にスポーツがある喜びを誰よりも噛みしめているのだろう。
大事なことを教えていただきました。
【グルメ】★★★★★
鵜住居駅前にもキッチンカーが並んでいたが、スタジアム前にもそれに負けないくらいキッチンカーが並ぶ。
やはり三陸の楽しみと言えば「食」だ。
釜石名物の一つという、バスラーメンかわしまのホルモン煮込み。
バスラーメンかわしまはバスの車内でホルモンラーメンを提供するという独特のスタイルで、川嶋精肉センターという会社が母体となって運営しているお店。
1983年にバスでのラーメン販売を始めたというので、40年近い歴史があるそうだ。
今はバスの車検が切れてしまったため移動することはできないが、港湾の近くで現在も営業を続けている。
もちろん精肉店がやっているだけあってホルモンの味は織り込み済み。ピリ辛のスープも食欲を刺激する。
そしてやっぱり三陸と言えば海の幸。焼きたてのホタテとわかめをワンコインでいただくことができる。
海の香りが口の中にふわっと漂い、自らが新鮮な逸品であることを無言で、しかし誇らしげに宣言する。
うまい。うますぎる。
更にこちらはウニのおにぎり。ウニと言えば普通せいぜい軍艦巻きで食べられる程度で、しかもきゅうりで面積を稼いでいるものがほとんどだ。
しかしこちらはおにぎり中ウニで満たされている。食べても食べてもウニの香りがする。
この辺ではウニが余っているのか。
三陸海岸沿いで営業する移動式カフェのHappiece Coffeeのコーヒーアフォガード。
アイスには岩手の牛乳が使われているようだ。
味ももちろんだが、店主の独特の雰囲気に心惹かれる。
客に対して近づきすぎず遠すぎない程よい距離感はとても心地よく、この人のカフェならずっといても落ち着くだろうなあと思った。
ネットで調べてみると彼の実家も震災で全壊したとのことで、優しくも力強い彼の語り口は復興への強い想いから生まれているものなのだと納得させられた。
会うだけで彼のファンになってしまう人は多いだろう。
こちらはスタジアムで食べたものではないが、スタジアムにも出店している釜石ラーメン。
製鉄所や港で働く人たちに向けて作られたのがその発祥で、釜石では「ラーメン」と言えばこれを指す。
その特徴的な超極細麺はせっかちな海の男たちへ素早く提供することを目的としたもので、そこに淡麗ながらも魚介の香りをまとったスープが絡みつく。
2022年には映画にもなった、釜石を代表する名物グルメの一つだ。
そしてこちらは釜石の施設魚河岸テラスでも販売されている三陸ジェラート。
私はリンゴのキャラメリゼ、抹茶、そして大吟醸という特徴的な3種類を選んだ。いずれも岩手の食材を用いたものだ。
大吟醸は口当たりとしては甘酒に似ているかな。
もちろんスタジアムでの出店もあるが、魚河岸テラスで購入する方が値段が安く種類も豊富なのでそちらで食べる方がオススメだ。
いやあ、やっぱり三陸のメシは最高だっぺ。
【街との一体感】★★★★★
スタジアム近くにはシーウェイブスの自販機が設置されている。
マンホールもラグビー仕様。
鵜住居駅のベンチもラグビー仕様。
釜石駅の一番目立つ位置には大きなラグビーのモニュメントがある。
三陸鉄道のスタジアム臨時列車にはシーウェイブスのヘッドマークがついている。
駅前の大通りには青標識に並んでラグビーのイラストが設置されている。
その横にある製鉄工場には大きく「鉄と魚とラグビーの街釜石」と描かれている。
駅前には多くののぼりがはためく。
街中のどのお店にもシーウェイブスのポスターが貼られている。
駅前のローソンはシーウェイブス仕様になっているし、
トヨタレンタカーも釜石のラグビーを応援している。
イオンにもラグビーの街釜石情報が流れている。
大企業であっても釜石におけるラグビーの存在は無視できないものだ。
今回宿泊したホテルもラグビーだらけ。
そして宿泊するだけで日本酒やビールなどのお土産を頂くことができた。これだけでチケットの元は十分取れている気分だ。
釜石市役所にはラグビーワールドカップまでの日数がカウントダウンされていたようだが、それが終わった今はシーウェイブスの次の試合までの時間がカウントダウンされている。
駅前にあるお土産や飲食店が入った施設にももちろんラグビーの文字。
もちろん入り口にも。
もちろんラグビーお土産も豊富。釜石復興への祈念も含めてラガーボウルというお菓子とラグビータウン釜石のTシャツを購入した。
3階部分はラグビーカフェと名付けられ、ラグビーワールドカップ開催を記念した展示がされている。
その近くには新日鉄釜石ラグビー部の栄光の歴史も展示されている。
古ぼけたラグビーボウルや色紙などなかなかにエモい。
そのすぐ隣にシーウェイブスの事務所があるようだ。とても好立地。
この像が示す通り、まさに釜石は鉄と魚とラグビーの街である。
【満足度】★★★★★
釜石では、改めてスポーツがある日々の喜びを感じることができた。
今回の記事をお読みいただければその意味は十分にお分かりいただけるだろうから、締めとしては多くを語らないこととする。
最後にスタジアム横のモニュメントにも刻まれている、釜石に伝わる大事な教訓を共有してこの記事の終わりとしたい。
索引を作りました!
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