2月26日、いよいよJリーグ2021シーズンが開幕します。ついこの間2020シーズンが終わったと思ったのに、あっという間ですね。時の流れは早い…。
ところで、Jリーグと言えば言わずと知れた日本のプロサッカーリーグです。ネームバリューはバツグンで、日本でその名を知らない人はほとんどいません。
しかしJリーグのたどってきた歴史をちゃんと追っている人はなかなかいないのではないでしょうか。
なにせ開幕は1993年5月15日。今年で28年を迎える長寿リーグです。
当初はまともなプロスポーツリーグはプロ野球ぐらいしかなく、新たな市場を開拓するため、さまざまな新しい試みを行ってきました。
その中でも「地域密着」は当時の日本では非常に画期的なものでした。しかし新しいことをするというのは、どうしても痛みを伴うものです。
そこで今回はJリーグの歴史を辿り、いかに地域密着を推し進めてきたのか見ていくことにします。プロスポーツを楽しむ上で一つのヒントになるかもしれません。
1.Jリーグができるまで
Jリーグができるまでの日本サッカー界と言えば、日本サッカーリーグ(JSL)がトップでした。
このリーグは実業団チームが集まって出来ていた、いわゆる実業団リーグでした。今でいうラグビーのトップリーグとかバレーボールのVリーグとか、そんな感じでしょうか。
というかアマチュアでこういった日本全体を対象にしたリーグはサッカーが初めてでした。
当時はいわゆる「企業アマ」が主流で、社員として働きながらサッカーの練習をする、という状態でした。今でもこの文化は根強く日本で残っていますね(社会人野球とか)。
とはいえ社業との両立は難しく、次第にサッカーの比重が大きくなってきます。こうなると名実ともに「プロ」が望まれるようになってきます。プロ化によって、
・観客動員
・スタジアムの充実
・地方チームの活性化
・日本サッカーレベルの向上
などが期待できます。
そうしてできたのが「Jリーグ」でした(だいぶはしょった)。
1993年5月15日に国立競技場で行われた開幕戦のヴェルディ川崎vs横浜マリノスは59262人もの観客を集め、大きな盛り上がりとなりました。
しかし結果的にこれがJリーグの一時的な衰退の引き金になるのですから、皮肉なものです。
2.Jリーグブームの到来、そして終焉
Jリーグの開幕戦は大成功に終わり、社会現象ともいえる一大ムーブメントを巻き起こしました。
当時はプロスポーツと言えばプロ野球しかありませんでしたが、いよいよその地位を脅かすスポーツが出てきた、とマスコミもこぞって書きたてました。
開幕戦の視聴率は30%を超え、1万人を目標としていた観客動員は1993年は17976人、1994年には19598人と大きく予想を上回るものでした。
そしてその中心にいたのは、開幕戦を戦い、そしてJリーグの初代王者となった、ヴェルディ川崎でした。
ヴェルディは元「読売クラブ」であり、巨人の球団運営のノウハウを惜しみなく生かし「Jリーグの巨人」を目指し邁進していきます。
しかしそのやり方に真っ向から対立したのが、何を隠そう「Jリーグ」そのものでした。
Jリーグは当時の日本では珍しい「地域密着」をウリにしたリーグでした。Jリーグはクラブ名を「地域名+愛称」にするなど、地域密着を推し進めてきました。
対するプロ野球では、今でこそチーム名に地域名を取り入れるなど地域密着を進めていますが、当時はそういった考えはほとんどありませんでした。
現にチームの移転、合併、廃止が非常に活発に行われ、親会社の都合でポンポン本拠地が変わったりしました。2004年の近鉄を最後に今はそういったことは行われていませんが。
そういった意味でJリーグの地域密着は非常に画期的と言えました。
そんなJリーグとヴェルディ川崎のやり方は、水と油のように相容れないものでした。
ヴェルディはJリーグ開幕まで「読売ヴェルディ」という呼称を使ってみたり(ほかのチームも同様の呼び方はしていましたが)、あるいは川崎とは名ばかりで地域への貢献を全くせず、川崎をないがしろにしたりしていました。
ないがしろにされた等々力陸上競技場、および川崎の復活の歴史はこちらにまとめています。
ヴェルディと対立し地域密着を目指したJリーグでしたが、これが裏目にでてしまいます。地域密着の結果全国的に注目されなくなり、テレビの放映権収入が減少していったのです。
これに伴い、観客動員も一気に減少していきます。1997年には歴代で最低となる10131人となりました。
その結果ヴェルディの目指した「全国的な人気を得て放映権でがっぽり儲ける」というビジョンが成り立たなくなり、1998年にはとうとう読売新聞がヴェルディの経営から身を引きます。
更にこの年、Jリーグを揺るがす大事件が起きます。横浜フリューゲルスの消滅です。
それについては過去ニッパツ三ツ沢球技場の記事に詳しく書いておりますのでお読みいただければと思います。
こうしてJリーグバブルは弾け、存続の危機を迎えることになります。
3.Jリーグの復活、そして未来へ
そんなJリーグの危機を救ったのは、やはり「地域密着」でした。
もちろん、起爆剤となったのは2002年日韓ワールドカップであることは否めません。2001年には観客動員が一気に回復したのは事実です。
しかしそのお客さんを定着させることができるようになったのは地域密着のおかげでした。
企業を母体としない清水エスパルスや、サッカーによって町おこしをした鹿島アントラーズなどの成功例を見て、各地にクラブが生まれることになったのです。
その成功例の一つがアルビレックス新潟です。アルビレックスは企業を母体としないクラブですが、2003年にはJ2ながら浦和レッズを抜いてJリーグ最多の観客動員となりました。
このように、企業に頼らなくとも地域の力でJリーグトップクラスのクラブへと成長する道筋が示されたのです。
これらのクラブの成功を見て、Jリーグはどんどん各地へと広がりを見せていきます。2021年現在、J1~J3合わせて57ものクラブが活動しています。
2011年には震災の影響でJリーグ全体の観客動員は一時的に減少しますが、それでも日本全国へと拡大を続け観客動員はじわりじわりと増え続けています。
Jリーグは「百年構想」を掲げ、どんどんすそ野を広げています。百年後、Jリーグはどうなっているのでしょうか。
まあ、残念ながら私もこれを読んでいる方もほとんど生きていないとは思いますが…。夢を見るのは自由です。
4.まとめ
その後、日本でプロスポーツを広めるのに「地域密着」は欠かせない考え方になりました。
プロ野球も前述の通りJリーグを見習って地域密着を推し進め、後発のBリーグは持てる力を100%を地域密着に注いでいます。
逆になかなかプロ化がうまくいかないVリーグなんかを見ていると、やっぱり地域密着を進めないとなあ、と感じてしまいます。
日本のプロスポーツに革命をもたらした地域密着を武器に、今日もJリーグは進化していきます。
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