横浜F・マリノスが2022年J1優勝を果たしました!おめでとうございます!
ここ2年は川崎フロンターレ一強時代が続いていたこともあり、久しぶりに最終節までもつれるシーズンとなりました。
しかし猛追するフロンターレを振り切りマリノスが見事3年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
そこで今回は優勝を記念して、横浜F・マリノスのこれまでの歴史を振り返ってみたいと思います。
日産スタジアムの記事と合わせてお読みください。
1.Jリーグとともに生まれた横浜の名門クラブ
1993年5月15日産声を上げたJリーグ。
国立競技場で約6万人もの観客を集めて行われて大々的に行われた開幕戦には、横浜マリノスの姿がありました。
マリノスの前身は1972年に生まれた日産自動車サッカー部。
野球部が活動しないオフシーズンに応援できるスポーツとしてサッカーが選ばれた、という経緯があります。
なお、野球部の方は2010年から休部中。世の中何が起こるか分からないものです…。
神奈川県リーグからスタートするとほぼ一直線にリーグを駆け上がり、1979年には当時のトップリーグであるJSL1部に到達。
しかし1979年、1980年と2シーズン連続で最下位となり降格。初めて壁にぶち当たります。
その間、クラブは守備的サッカーから攻撃的サッカーへ舵を切ります。
1981年には再度昇格を果たすと、その後は安定した成績を残し、1988年からは初優勝を含む2連覇。
ライバルの読売サッカークラブとはお互いに攻撃的なサッカーを目指していたこと、そしてどちらもプロ化を見据えていたこともあり当時からバチバチにやり合っていました。
そして日産自動車サッカー部は横浜マリノスとして、読売サッカークラブはヴェルディ川崎としてJリーグ開幕戦で改めて激突。
社会現象ともなったJリーグ開幕戦は2‐1でマリノスが勝利。Jリーグ初の勝利をマリノスが収めたのでした。
そこからJリーグの、そしてマリノスの長い歴史が始まったのです。
2.横浜フリューゲルス消滅の余波
華々しい開幕戦で始まったJリーグ初年度は4位に終わるも、1995年にはライバルヴェルディを破りリーグ初優勝を飾るなど順風満帆の時を過ごしていたマリノス。
そんな折、1998年に横浜のサッカー界、いやJリーグ全体にとって激震が走りました。
同じく横浜をホームとし、ともにJリーグ開幕を迎えた横浜フリューゲルスとの合併構想がリークされたのです。
ただし合併とは名ばかりで、赤字に陥っていたフリューゲルスはマリノスに吸収合併され、事実上消滅することとなったのです。
Jリーグ全体で署名が行われるなど大きな反対運動も起こったものの、1999年1月1日、天皇杯優勝をもってフリューゲルスは消滅しました。
マリノス自体には大きな変化こそなかったものの、横浜マリノスにフリューゲルスのFを加え「横浜F・マリノス」として再始動することになりました。
マリノスにとってもクラブ名にフリューゲルスの生きた痕跡を残したこの事件は、多くのサッカーファンにとってトラウマとなりました。
一方、フリューゲルス消滅に納得のいかなかったサポーター達が立ち上げたのが、現在の横浜FCです。
こちらもJ1にたびたび昇格するなど大きな成長を見せ、確かな存在感を発揮しています。
こういった経緯もあって横浜F・マリノスと横浜FCのダービー、通称横浜ダービーは、良くも悪くも大変盛り上がります。
横浜FCの主催試合観戦記はこちら。
そして横浜F・マリノスと横浜FCが激突する横浜ダービーの模様はこちら。
3.酸いも甘いも経験した30年間
2022年現在、オリジナル10のうちJ2に降格経験がないのは今や横浜F・マリノスと鹿島アントラーズのみ。
こうしてみるとマリノスの過ごした30年間は順風満帆そのものですが、その中には浮き沈みもありました。
まずは2003年、2004年のJリーグ連覇。
2003年は1stステージ、2ndステージともに優勝し完全優勝、2004年は浦和レッズとのチャンピオンシップに臨み、PK戦にもつれながらの優勝。
完全優勝も生みの苦しみも経験しながらの2連覇は、Jリーグ史に残るマリノス黄金期の一つだったと言えます。
その後も安定した成績を残していたマリノスですが、優勝にはなかなか手が届かず。
再びチャンスが到来したのは2013年でした。
広島とのデッドヒートになったこのシーズンは、第29節の広島との直接対決を制するなどマリノスは優勝へ一直線。
残り2試合で1勝でもすれば優勝が決まるというところまでこぎつけます。
満を持して臨んだ第33節、ホーム日産スタジアムに史上最多となる62332人を集めたアルビレックス新潟戦。満員のスタジアムで優勝を決める…はずでした。
しかしプレッシャーにやられてか、2‐0でまさかの敗戦。続く最終節の川崎戦にも敗れ、その手に掴んだはずの優勝がするりと抜けていくのでした。
更に、降格に最も近づいたシーズンが2018年でした。
この年、マリノスは得失点差の関係で優位には立っていたものの、J1参入プレーオフに臨んだジュビロ磐田のほか名古屋グランパス、サガン鳥栖、湘南ベルマーレ、そしてマリノスの5クラブが勝ち点41で並ぶという大混戦。
自動降格となった柏レイソルも勝ち点39と、一歩間違えればマリノスも降格圏内に入ってしまう厳しいシーズンでした。
しかしそんな苦しみを乗り越えたマリノスは、ポステコグルー監督の手により見違えるような強さを発揮します。
迎えた2019シーズン、攻撃は最大の防御と言わんばかりの超攻撃的なサッカーで32節に首位に立つと、最終節は2位FC東京との直接対決。
この試合でも、積極的に仕掛けるFC東京をあざ笑うかのようにそれ以上の攻撃力を見せ3-0で勝利。
前回の新潟戦をも上回る63854人の大観衆の前で行われた優勝決定戦を制し、4度目のシャーレを掲げました。
ちなみに私もその観衆の一人です。
すっかり攻撃的サッカーが浸透したマリノスは、2022年シーズンもその攻撃力の高さをいかんなく発揮。同じく黄金期を築き上げている川崎フロンターレを振り切り優勝を飾りました。
横浜、川崎ともにサッカーの完成度が非常に高く、見ていてとても面白い試合を展開しています。現在ではJリーグのシャーレを代わりばんこに掲げているような状態。
今や新・サッカー王国として名乗りを上げた神奈川のサッカー界、果たしてこの状況はいつまで続くのでしょうか…。
川崎フロンターレのホーム等々力の観戦記はこちら。
4.まとめ
以上、横浜F・マリノスの歴史をご紹介しました。
開幕戦から戦っているという意味ではJリーグでもっとも長く試合をしているクラブともいえますし、その30年間降格もなくこうしてまた優勝を手にしているというのは見事としか言いようがありません。
現状90年代、00年代、10年代、そして20年代それぞれで優勝している唯一のクラブであるマリノスは、まさにJリーグのシンボルともいうべきクラブの一つでしょう。
もうすでに、31年目のシーズンはすぐそこに近づいています。果たして王者マリノスを取り巻くこれからのJリーグがどんな歴史を積み上げるのか、ますます楽しみです。
他のコラムはこちらからどうぞ↓