ヴィッセル神戸が2023年J1優勝を果たしました!おめでとうございます!
今シーズンのJリーグはヴィッセル神戸と横浜F・マリノスのデッドヒートとなりました。
序盤は神戸が抜け出すも、中盤から昨シーズンの王者マリノスが一気に抜き去り二強体制に。
しかし終盤に行われた直接対決を神戸が制し、そのままマリノスを振り切ってJリーグ初優勝を果たしました!
今回はそんなヴィッセル神戸の歴史を追っていきたいと思います。
ノエビアスタジアム神戸での試合観戦記はこちら!
1.震災とともに誕生したヴィッセル神戸
ヴィッセル神戸の前身は、1966年に誕生した川崎製鉄水島サッカー部。
1993年には神戸にプロサッカークラブを作る気運が高まり、岡山で活動していた川崎製鉄水島サッカー部が神戸に移転してきたのが歴史の始まりでした。
クラブの名前はヴィッセル神戸。その名前には港町神戸らしく、「勝利の船出」の意味が込められています。
しかしその船出は、嵐の連続でした。
1995年1月1日に船出を迎えたヴィッセル神戸は、1月17日に初練習を予定していました。
その朝5時46分、大地震が神戸の街を襲います。
阪神淡路大震災です。
死者6434人、建物や高速道路、港に至るまで壊滅的な被害をもたらし、神戸の美しい街並みは一瞬にして失われました。
当然、そんな状況では練習どころではありません。結局、初練習ができたのは2月に入ってであり、場所も神戸でなく岡山でした。
さらに震災の影響でスポンサーであったダイエーも早々に撤退。資金的にも非常に苦しい船出となりました。
それでも地力のあったヴィッセル神戸は1996年JFLで2位となりJリーグ参入。
しかしJリーグの壁は厚く、一桁順位をとることもできませんでした。
更に資金面でも状況はさらに悪化。
ダイエーが撤退して以降スポンサーが現れず、後ろ盾がなく歴史も浅いヴィッセル神戸は苦境に追い込まれます。
そしていよいよ2003年には民事再生法の適用が決定。経営譲渡先を探すことになりました。
そんなヴィッセル神戸の目の前に現れたのが、地元神戸出身の楽天社長三木谷浩史でした。
2.楽天による大転換
経営を譲り受けたのは、三木谷氏が代表を務めるクリムゾンフットボールクラブ。
これは三木谷氏の個人資産を管理するクリムゾングループから生まれたもので、すなわちヴィッセル神戸は三木谷氏の個人資産で運営することになったのです。
一方で神戸市はヴィッセル神戸は11億6500万円を貸し付けたまま、チーム運営から撤退することになりました。
この翌年に楽天は球界にも参入し「東北楽天ゴールデンイーグルス」を立ち上げるなど、一躍日本スポーツ界の主役に躍り出ました。
その直後、ワールドカップでも活躍したトルコ代表のイルハン選手と大型契約を結びましたが、3試合しか出場できず退団。
以降成績が上向くこともなく、2005年にはJ2へ降格。
2006年にすぐに昇格するも成績は上がらず、2012年に2度目の降格。
三木谷マネーで大型補強を行うもなかなか実らない、もどかしいシーズンが続きました。
3.イニエスタが神戸に残したもの
その大型補強は、2017年よりJリーグをけん引するほどになっていきます。
この年、ドイツ代表のポドルスキを獲得。
2019年にはスペイン代表として優勝にも大きく貢献したダビド・ビジャ、FCバルセロナからサンペール、そしてフェルマーレンが加入。
そんな大補強すらかすんでしまう存在が、スペイン史上最高の選手とも評されるアンドレス・イニエスタの加入でした。
イニエスタは1984年にスペインで生まれ、サッカー人生全てをスペインとFCバルセロナで過ごしてきました。
その実績は言うまでもなく、バルセロナの35ものタイトル獲得に大きく貢献。スペイン代表としてもワールドカップ決勝で決勝ゴールを決めるなど大活躍しました。
そんなワールドクラスのイニエスタが2018年ヴィッセル神戸に加入するというニュースは、ヴィッセル神戸のみならずJリーグ全体、そして世界中で大きく報道されました。
イニエスタは2019年、チームキャプテンに就任するなどヴィッセル神戸に大きく貢献。
一方でプライベートでも日本を家族で楽しみ、桜を見に行ったり、お寿司を食べたり、心から日本での生活を満喫しているようでした。
更にヴィッセル神戸戦のチケットはどのスタジアムでも完売が続くなど、Jリーグ全体の入場者数増加にも大きく影響しました。
そして2019年、国立競技場のこけら落としとなった天皇杯決勝の鹿島戦に勝利。ヴィッセル神戸初のタイトルを獲得します。
その後も決して順風満帆ではなかったものの、2021年には優勝争いに絡み3位になるなど成績面でもイニエスタ加入の影響は大きいものでした。
しかし2023年、チーム方針とイニエスタのプレースタイルのはく離が目立つようになりました。
そしてついに7月1日、北海道コンサドーレ札幌戦を最後にヴィッセル神戸を退団することが決定。
とはいえあくまで方針の違いによるものであり、ファンからも送り出される形でヴィッセル神戸での5年間に幕を閉じました。
その後2023年、ヴィッセル神戸はJリーグを制覇。イニエスタは成績で苦しむクラブに2つのタイトルをもたらしました。
今は姿こそ神戸にはありませんが、キャプテンとして背中で選手たちを引っ張っていったその姿勢は、Jリーグ優勝という最高の形で身を結びました。
4.まとめ
以上、ヴィッセル神戸の28年を振り返りました。
その旅路は苦難の連続であり、難破しかけることもありました。
そんなヴィッセル神戸が手にした栄冠は、Jリーグの歴史にとっても大きな意味を持つことでしょう。
28年の歴史を胸に、今日もノエビアスタジアム神戸には神戸賛歌が響き渡ります。
他のコラムはこちらからどうぞ↓