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【概要】
ナゴヤ球場は、1948年開業、愛知県名古屋市にある中日ドラゴンズファームの本拠地。
ナゴヤがカタカナなのは画数が八画となり、末広がりの八をモチーフにした名古屋市章とリンクさせるためらしい。
中日ドラゴンズの聖地、ナゴ球の歴史は1948年に始まる。
当時本拠地球場を持たず各地を転々としていたドラゴンズは、戦争によって焼失した軍需工場跡地に球場を建設することを決めた。
昼夜問わずの突貫工事で(時代だねえ…)、わずか2カ月で25,000人規模の総木造の球場が完成。
中日スタヂアムと名付けられた(時代だねえ…)。
設計にあたってはクリーブランドインディアンスの当時の本拠地ミュニシパルスタジアムを参考にしており、客席は見世物のやぐらのような簡素なものだったという。
木造だったため観客が足を踏み鳴らすとガタガタと音がして、たばこのポイ捨てによるボヤもたびたび発生していたそうだ。
今も残っていたら野球遺産にできるくらいの貴重な球場だったに違いない。
しかし中日スタヂアムの終焉は突然訪れてしまった。
1951年8月19日のドラゴンズと巨人の試合中、3回裏に突然火災が発生。
火は瞬く間に燃え広がり球場は全焼、死者4名が出る大惨事となってしまった。
戦火を潜り抜けた経験がある大投手杉下茂も、戦時中がフラッシュバックするほどの大火事であったようだ。
もちろん、出火原因はタバコの不始末であった。タバコのポイ捨て、ダメ、絶対。
ドラゴンズは再び各地を転々とする日々が始まった。
しかし火災の3か月後には再建工事がスタート(早いねえ…)。
翌年には鉄筋コンクリート製の30,000人規模の球場が完成。こけら落としの巨人戦では祭壇が設けられ、火災発生時刻には黙とうもささげられた。
更に翌年には日本で4番目となる照明設備の完成、客席の増設など球場の改修も進められた。
1962年には試合のない日にゴルフ練習場として営業も始まった。神宮第二球場みたいだ。
が、それがきっかけで1973年、中日スタヂアム事件が発生してしまう。
球場の運営を行っていた株式会社中日スタヂアムは経営の多角化を図るもこれが失敗。
多額の負債を手形を乱発してしのごうとするが、これがパクリ屋(手形詐欺を行う反社的な人)に目をつけられてしまう。
結果的に中日スタヂアムの手形がばらまかれ、一方でお金はまるで入ってこないという地獄のような状況に。
その結果、経営難を苦にした社長が自殺に至る大事件となってしまう。
こんなウシジマくんみたいなことが現実に起きていたなんて…。
この生々しい事件をきっかけに、トヨタ自動車などの地元企業が出資してできた株式会社ナゴヤ球場が運営することになり、球場名もナゴヤ球場に改称される。
以降、ナゴヤドームが完成する1997年まで一軍の本拠地として使用され、それ以降も二軍の本拠地として若竜たちを育み続けている。
その歴史の長さゆえナゴヤ球場にまつわるエピソードも濃ゆいものばかりだが、その中で最も印象的なのは10.8決戦であろう。
日本プロ野球史上初の「シーズン最終戦で同率首位チーム同士の直接対決」であり、長嶋監督をして「国民的行事」と言わしめた球史に残る一戦である。
槇原、斎藤、桑田の三本柱の継投により巨人の優勝で幕を閉じたこの一戦は、2010年にNPBによって行われたアンケートにおいて、最高の試合部門で第一位に選ばれるなど今なお強烈なインパクトを放っている。
またナゴヤ球場最終戦となった1996年10月6日には、首位広島に最大11.5ゲーム差をつけられた巨人が中日相手に勝利をおさめ大逆転優勝を決めたエピソードもある。
いわゆる「メークドラマ」完成の地となったナゴヤ球場の最後の胴上げ監督は、メークドラマという言葉を生み出した長嶋監督であった。
ちなみに野球とは関係ないが、モーニング娘。のメジャーデビューが決まったのもこのナゴヤ球場であり、ファンからは聖地とみなされることもあるそうだ。
これだけ歴史が長い球場だといろいろなドラマも巻き起こるのである。
【アクセス】
最寄まで★★★★★
最寄はJR尾頭橋駅、
あるいは名鉄山王駅。
いずれも名古屋駅から一駅で、本数もほぼ同程度。これだけ充実していれば一軍の試合でも十分捌ける能力があっただろう。
最寄から★★★★☆
いずれの駅からもおよそ徒歩10分少々。
尾頭橋駅からは案内標識が充実していて、迷う心配はない。
歩みを進めていくと踏切を渡ることになるが、どうやら電車が来る様子はない。
というのも、ここには「ナゴヤ球場正門前駅」という臨時駅があったのだ。
本当にナゴヤ球場の目の前に駅があるので大変便利だったそうだ。
落合博満が中日に加入するのがきっかけで作られたという逸話もあるが、先述の10.8をもって7年という短い役目を終え、代わりに東海道線の尾頭橋駅が新たに新設された。
尾頭橋駅の方はナゴヤ球場が二軍球場となってからも、ウインズ名古屋が近くにあるため利用客は多いようだ。
よく見ると尾頭橋駅の表示の横にウインズ名古屋前と書いてあったりする。
このあたりにはかつて駅があった遺構が残っている。30年このまま放置されていたんだろう。
一方、名鉄の山王駅周辺にも実は遺構が残っている。
こちらもかつて「ナゴヤ球場前」駅という名称であり、この建物では乗車券を販売していた。
こちらは駅から球場方面へ出る臨時出口。
うっすらと開場時間が書かれているのが見える。
そしてこちらが駅のホームにある臨時出口。今となっては開かずのシャッターだ。
こういった遺構巡りこそナゴヤ球場観戦のだいご味と言える。
ドラゴンズ漬けとなった名古屋旅の記録はこちら。
【観戦環境】★★★☆☆
さすが元一軍本拠地というだけありとても立派な球場だ。
ここだけ見ればナゴヤドームとそん色ないほど。フェンスとグラウンドの広さはナゴヤドームと同じにしてある。
でもフェンスは無理やり高くしてる感がある。
しかしこの球場の大きな問題は、屋根がないこと、そして照明がないこと。
つまり夏場どんなに暑くても昼間に試合をするしかない。自慢だった照明設備もいつの間にか撤去されてしまったんだなあ…。
そして公式で日傘の貸し出しもされているのだが、このようにお客さんがそれなりに入っている試合だとそこそこ視界の邪魔になる。
お客さんが入りそうな日は傘差すの禁止にしてもらえないかなあ…。ていうか屋根つけてくれ。
かつて存在した外野席も無くなり、内野席も縮小された。
外野席があった場所は会社のオフィスや民家が入っているようだ。
バックネット裏から一段下がったところにあるスタンドはかなり選手との距離が近い。
それなりに臨場感がありそうだ。
何よりブルペンが目の前にあるのがいい。プロのピッチャーの球はいくら見ていても飽きない。
球場後方には東海道新幹線もびゅんびゅん走っていく。名古屋が近いからスピードはそれほど出ないが…。
もちろん新幹線の中からも球場をチラ見することができる。
この感じは何となくロッテ浦和球場に似ている感じがする。
スコアボードは電光掲示板で新しい。必要最低限の情報がそろっている。
コンコースは新しくキレイになっているが、在りし日の面影も少し感じられる。
コンコースからグラウンドが見える光景が好き。
一応写真が取れるコーナーなんかもある。昔は絶対なかっただろうな。
わずかながらグッズも販売中。
ファーム日本一になった時のペナントも飾られている。あの頃は…。
【雰囲気】★★★★☆
とにかく暑くて試合になかなか集中できなかったが、とりあえず二軍らしく淡々と試合が進んでいった。ま、少々エラーも多かったが…。
それでも一応ラッキーセブンにはそれぞれの球団歌が流されたりした。
ライト側フェンスにはサカナクションの広告。ボーカルの山口さんが大のドラゴンズファンで、自腹で設置したものらしい。
レフト側には負けじとハンバーグ師匠の広告。そのうち外野フェンスが有名人の広告で埋まるんじゃないだろうか。
遠く離れたナゴヤドームにもナゴヤ球場の展示がある。
その歴史の長さゆえに、中日ドラゴンズの聖地であることは今も昔も変わりなく。
【グルメ】★★★★☆
コンコースの奥に売店が一つ。ここしかないので試合前にはかなり混みあう。
名古屋らしい味噌串カツとあんかけスパゲッティ。
ここだけで十分名古屋メシを堪能することができる。そして味が濃い。
あまりの暑さに耐えかね名物のガッツ氷も購入。
中身は普通のかき氷だけど、こんなにおいしく感じたのは人生でも初めてだった。
実際飛ぶように売れていた。この天気なら何個でもいける。
【街との一体感】★★★★☆
ナゴヤ球場の手前にはたいそう立派な室内練習場がある。新幹線から見てもよく目立つ。
名古屋の直前だけに宣伝効果は凄そうだ。
ドラゴンズ自販機。
こちらの自販機は少し年季が入っている。ちょっと哀愁も感じる。
こちらの中華屋さん、その名も「竜」は選手も通うお店。
ドラゴンズを胃袋から支え続けてきたが、2023年に閉店してしまったようだ…。
電信柱には企業名より大きながんばれドラゴンズの文言。
聖地は今も愛され続けている。
【満足度】★★★★☆
球場自体は改修されてそこそこキレイになっているものの、随所に聖地の趣が感じられとても楽しい経験ができた。
竜党ならぜひ一度は訪れてみる価値はあるだろう。
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